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2015/02/27

30歳になりました。


2月18日、ロンドンで誕生日を迎えました。


17日まで日本から友達が来ていたこともあって、実感が湧かないままその日を迎えたけど、朝起きたら沢山のメッセージが来ていて、ベッドの中ですっっっっっごく幸せな気持ちになりました♡


平日だったので普通にお仕事だったんだけど、朝からほっこり心が温まったし、すっごく良いお天気だったから何だかそれだけで満足。
職場に着いたら私のデスクの上に可愛いカップケーキが置いてあって、「誕生日おめでとう」って同僚からのプレゼントでした。
可愛いくて食べる勿体ない!と思いつつも、仕事中の3時のおやつにちゃっかり食べさせて頂きました(。・ω・。)美味しかった♡

30歳になって、昨日と今日で何かが突然変わるなんてことないけど、それでも何だかドキドキする。

歳を重ねることに恐れを感じる人もいるけど、私は楽しみっていう思いの方が勝ってる。
10代、20代、30代・・・歳を重ねて失うものも確かにあるのかもしれない。
だけど、失ったものの代わりに得るものだって多くあるものです。

10代、20代はやっぱり外見的にも若くて肌質が良かったり、疲れ知らずだったりするけど、「心」という側面でみると、私は断然今の方がすき。

歳を重ねるほど、内面が外見に表れてくると思うの。
例え皺が出来たとしても、白髪が生えてきたとしても、心が美しい人の笑顔は最高にキラキラしてるし、芯のある人の目はとても力がある。
「美しい」の概念は少しずつ変わってくるのかもしれないけど、歳を重ねるほどに「外見が整ってる=美しい」というわけではなくなってくるなぁってつくづく思うのです。

だから歳を重ねて外見が・・・っていう恐れは抱かなくても良いのかなって思ってる。
もちろんアンチエイジングでお手入れするのは凄く素敵なことだけど、それ以上に心を磨くことを忘れたくない。
美しい空に感動したり、道ばたの花に心がほっこりしたり、誰かの言葉に耳を傾けたり、旅に出て新しい人と出逢ったり、本や映画を観て感性を磨いたり・・・。

10代の時とは違う美しさが、その年齢にあるはず。
皺が出来るなら、笑い皺ができるように過ごしていきたい。
皺はその人の表情のくせがそのまま出るもの。

10代も20代も、それぞれ10年ずつ過ごしたから、30代という新しいステップに立てたことに、すごくワクワクしているのです。

10代はまだまだ色んなことが未知で壁の乗り越え方も分からなかった。
そう考えるとね、歳を重ねることで色んなことが見えて来て、経験も積んだりして自分の中の引き出しが増えて、ようやく人生を味わえるようになってきた気がするの。
人生の甘さやしょっぱさも、「これが人生よね」とその味をしっかりと楽しめるようになってきた。
自分の選択で自分の人生を選べるようになったのも、大人になったから。

そう思うとね、やっぱり歳を重ねて得たものってすごく沢山ある。
そして歳を重ねるごとに、色んなことを知ってもっと楽しくなっていってるから。

ただただ、ボーッとしながら時間が過ぎるのを待っていたらそれは全然違うかもしれないけど、平等に与えられた時間をどう自分で使っていくか・・・・それによっても得るものは大きく変わってくる。

30代になっても、何歳になっても、好奇心は失いたくないなってすごく思うのです。

ドキドキする感覚や「もっと知りたい」って思うワクワク感は、ずっと持っていたい。

30歳になれたことに、心から嬉しく思うと同時に色んな人に感謝したくなりました。

両親もそうだし、日本にいる友達やこっちで出逢った友達。
30年という歳月を振り返るには長過ぎる年月だけど、その中で出逢って来た人たちの顔を思い浮かべると、「私が歩いて来た道は間違いじゃなかったんだな」って凄く思わされる。
そんな風に思わせてくれるみんなに、心から感謝です。

そして、30歳になれなかった人がいるのも、また事実。
10代で亡くなった友人や、若くして命を落とした従兄弟。
30歳になった日の朝は、仕事へ行く前にテムズ川を眺めながら色んな思いが交錯していました。


年齢はただの数字よね。
それでも、やっぱり30歳になったことを嬉しく思うの。

沢山の沢山の「ありがとう」という思いでいっぱいになった誕生日。


誕生日の日は仕事が終わってから、友達とパブと映画に行って楽しい夜を過ごしました♡

30歳、清く強く美しく、そんな女性になれたらいいなって思ってます。
そして自分らしく。
29歳の自分が連れて来たロンドンという街を、とことん味わい尽くしたいと思います。






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2014/12/16

動かなきゃ始まらない。


先月半ば、お引っ越しも終わりエージェントへの登録も無事に終えたある日、ガクンって落ちた日がありました。
落ちたというか、「このままじゃまずい」って思ったという方が正しいかな。


エージェントへの登録が終わってみると、あとは自分で現地サイトを使って探さない限りいわゆる「待ち」の状態になります。


とある月曜日の朝。
部屋も片付いて、「さて何しよう」ってなったとき、この先何も予定がない事に気づきました。
旅行やお引っ越し、エージェントへの登録でバタバタしていた時はそれなりの忙しさで毎日が過ぎていったのだけど、落ち着いてみると「やることないわ」って状態に。


フラットメイトはお仕事だし、滞在1ヶ月でできた友達は数少なし。
お部屋探しや旅行していたのもあって、友達を作る環境に全く身を置いてなかったのです。
そう考えると、語学学校って友達作るには結構最適な場所かも♫


学校に行ってるわけでも働いているわけでもない私は、自分で動かないと誰とも出逢わないし何もないまま1日が過ぎていっちゃう。
「このままじゃマズーイ!!」って思ったのでしたヽ(゚◇゚ )ノ


その日は数少ない友達に連絡して夜ご飯を食べにお出かけ。
話してたら少しずつ元気になってきて、「やっぱり友達ってスバラシイ」って実感して帰宅。
帰宅後すぐにPCを開いて、ロンドンで行われているMeet Upのイベントを調べ始めました。
本当にパーティーみたいなものもあれば、趣味に沿って集まってるものもあったり、格安での英語クラスがあったり・・・本当さまざま。


ひとまず何の予定もなかった私は、月曜日の夜10時頃に火曜日に行われている何かに参加してみよう!と思って、英語クラスへ参加してみることにしました(・∀・)
初回無料ってのも魅力の一つだったし、どんなものか試しに観てみようと思って。


そして火曜日。
英語クラスに参加してみると、楽しいは楽しいけど最初は正直居心地悪かったのー。
徐々に楽しくなってきたけど、やっぱり「初めての場所」で「ひとり」って結構ハードル高い。
でもせっかく勇気出して来たからには、何か持って帰ろう!って思ったのです。
だから最後までいて(実は途中で帰ろうかと一瞬思ったりしてた。笑)、授業後にイタリア人の女性に話掛けて連絡先交換しました☆
その後も唯一私以外にいた日本人(アジア人はその人と私だけだった)と連絡先を交換。
同い年くらいのスペイン人2人組とも仲良くなりたかったんだけど、席が離れていたのもあって話せず。。一人は用事があって途中で帰っちゃったしね。


何はともあれ、イタリア人の女性は他の英語クラスに誘ってくれたし・・・最後までいてよかった♡


次の日の水曜日。
「動かなきゃ何も始まらない」と自分に言い聞かせて、Meet upのイベントに参加してみることにしました!
前の日に行ったのは英語クラスだったけど、今回はパーティー的なもの。
PUBでお酒飲みながら話したい相手と立ったまま話すという、完全なフリースタイル。
これ・・・友達と行くものだよね(・ω・)
ロンドンではこれ系のMeet upがいっぱいあるし、毎日どこかしらでやってると思う。
行く前は迷ったし、向かってるバスの中でも「帰ろうかな、帰ろうかな」って思ってた・・・けど、「居心地悪かったとしても、失うものは何もないわ」って開き直って、行く事にしたの!!


お店に入ってみて・・・完全アウェイ。
誰かが仕切ってくれるわけでも、席が用意されているわけでもないから、着いたら自分のドリンクをカウンターで頼んで、自分からそこらへんにいる人に話しかけていかないといけない・・・。
話かけられるのを待ってたら、いつかは誰かが声をかけてくれるかもしれないけど・・・そんなもの一人で待っていられるほど居心地よいものじゃないです。


という事で、たまたま近くにいた人と話してみました。
そしたら気づけば4人でワイワイ話してて、なんだかんだ2時間半くらい楽しんでました♫
ふぅ。
話してくれた人に感謝感謝。
「今日はこのぐらいで帰ろうかな〜」と思って出口に向かって歩いてたら、ドアの近くで向こうから歩いてくる知った顔が・・・。
なんと、前の日に行った英語クラスで「友達になりたかったな〜」って思ったスペイン人二人組だったのー!!!ミラクル!
向こうも気づいて、お互いびっくり。
少し遠いのもあって、あの英語クラスにはもう行かないだろうな〜って思ってたから、もう会える機会なんてないと思っていたのに・・・この大都会ロンドンで、再会できるなんて本当ミラクル。
しかも少し時間ずれてたら会えなかったもの。
そこで連絡先を交換して、バイバイしました☆


・・・と思ったら、夜遅くに早速やり取りして、なんと次の日にお茶することに。
何、このスピード感。笑


ということで、火曜日に「友達になりたかったな〜」って思った2人と、水曜日にまさかの再会をして、木曜日に3人でカフェでお茶して笑い合ってました。


それからはもう本当に仲良くなって、輪が広がってみんなとすっごく素敵な時間をたくさん過ごしました。


やっぱり「動かなきゃ何も始まらない」。
あの日、勇気を出して動いた自分がいたから、出逢えた人たちがいる。
もしあのとき「やっぱりやめよう」って家にいたら、一緒に笑い合うことも語り合うこともなかったんだと思うと、動くことの大切さを改めて実感する。


イタリア人の女性とも、朝からカフェで「女性の生き方」っていう大きなトピックで語り合って、「出逢えて良かったー!!」って二人で感激しあったり。


場所が用意されているわけじゃない。
だから自分で日々を作っていかなきゃだし、自分の行動が「今日」になって「明日の自分」になる。


新しい場所で友達がゼロの状態から、こんなにも笑い合える友達と出逢えるなんて、本当に幸せだなぁって。


友達作りだけじゃなくて、「居心地の悪さ」って時には必要だなって思うの。
新しい場所、新しい事って時にストレスがかかるけど、それでも「いつもと違うもの」を求めてるなら「いつもと違う事」をしなきゃいけない。
私は「友達」を求めていたから、いつもは行かない場所に行くという「いつもと違うこと」をしてみた。
そしたら、居心地の悪さはあったものの、失うものなんて何もなくて得るものしかなかった。


何だか自分が映画の中にいるみたい・・・って思うような瞬間がいくつかあって。
そして偶然を通り越して「奇跡じゃない?」って思わされたり、なんだか・・・心がじんわり熱くなるような出逢いをしています。


こっちに来てから、「人生うまく出来てるな」って思うことが多くなった。
日本にいたときも同じように思ったことあったけど、ロンドンに来てからはとくに。
一見ツイてないようなことでも、後々振り返ってみるとそれが自分にとっての正解だったり。
過去の選択が異なれば、出逢えなかった人たちがいる。
前にも書いたけど、本当にこれを実感してる。
お部屋探しのとき「ここ!」ってところに出逢えず焦った瞬間もあったけど、今のフラットに出逢う為だったんだなって思えるくらい、今のフラットが好きです♡
きっと求めれば足りない部分もあると思うんだけど、フラットメイトとも仲良いし、3人でレコード聞きながら笑いあったりする夜が幸せで、ほっこりしたり。


仕事が見つかった時期もベストなタイミングだった。
もっと早く見つかってたら、仲の良いスペイン人とあんなに濃い時間は過ごせなかったと思うから。
土曜日にクリスマスホリデーのためにスペインに一時帰国してて、私は今日からお仕事。
何かもう、ベストすぎるタイミング!!


「出逢ってくれてありがとう」が止まらない。
そんな毎日です。


そして生活に慣れてくると、動くことが鈍くなっていくのも分かるから、それは受け身にならずに自分でどんどん動いて色んな事を感じていけたらいいなって思ってる。


「動かなきゃ、何も始まらない」。



ちゃっかりウィンターワンダーランドにも遊びに行ってます♡
クリスマス時期になると、ハイドパークという大きな公園が遊園地みたいになるの!
クリスマスマーケットとテーマパークが一緒になった感じで、すごくハッピーな雰囲気でオススメ♫
だけど週末は激混みの激混みの激混みなので、平日の昼間とかに行ける人はその方がぜーったい良い!!
私両方行ったんだけど、週末の人の多さ・・・ヤバいね。
帰るときには入場制限してたよ。。恐ろしや。
空いてるのは、11月の平日。
11月下旬からオープンするので、そのオープン直後の平日とかは空いてます♡





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2014/10/01

退職しました。

昨日、5年3ヶ月勤めた職場を退職しました。


3年くらいの月日しか経っていないように感じるので、5年という数字にびっくり。
ライターなどもやっていたので、そちらが本業だとたまに誤解されるのですが、私の本業は秘書でした。
OLとして秘書業務をする傍らで、プライベートな時間にライターなどをしていました。


5年3ヶ月。
やっぱり良い事ばかりではなく、悔しくて悔しくて泣きそうになりながら歩いた日もあれば、理不尽さに思わず「なんでやー!」って海に向かって叫びたくなるような日もありました。
それでも今では、この職場で働けて良かったと思えています。


送別会は別の日にやって頂いていたので、最終日は最後だという実感のないままに過ぎていったけど、最後にビルの清掃をしている方から心温まる素敵な言葉の贈り物を頂いて、本当に心が救われる思いでした。


ずっと見守って頂いていたことを知り、今更感謝してもしきれません。


思い返せば辛いことも沢山あったけど、多くのことを学ばせてもらいました。
イギリス行きのために退職する私を、笑顔で見送ってくれた上司や同僚にも心から感謝です。


退職から一夜明けた今日、うっかりいつもの時間に目が覚めちゃいました(☆。☆)
平日の昼間に街を歩いてみたけど、何だか不思議な気分。
有給を使うときは殆ど旅行をしていたので、平日の昼間にこんな風に過ごすことなんて本当に久しぶりでした。


どこかまだ週末のような感覚が抜けないけれど・・・刻一刻と渡英の日が近づいてきています。


たった5年。されど5年。
その期間、支えてくれていた友達みんなに「ありがとう」。
ある方に「どうやってストレスを発散していたんですか?」と聞かれました。
そのときに思い浮かべたなかの一つに、「友達との時間」があったの。
オンとオフがはっきりしている私はプライベートな時間に仕事の話をすることは殆どないので、友達と会っている時間すべてが癒しでした。
「支える」というとすごく大げさだけど、その時間があったから頑張れたと思ってる。
だから本当に「ありがとう」っていう気持ちですヾ( ´ー`)


イギリスへ行ってからも働くつもりなので、土地も環境もすべて新しいスタート。
そしてまた帰国したら転職活動しないとね☆
不思議と帰国後の職探しに不安を感じていない・・・というより、考えないようにしています。
考えたところで答えなんて出ないし、今の自分と帰国後の自分はきっとイコールじゃないから、もし年齢がネックになることに不安を感じるのであれば、それをカバーできるくらいの何かをイギリスから持って帰ってきたいと思ってる。
・・・あれ。
でかいこと言っちゃった(´_`。)


結果持って帰ってこれるかどうかはまだ分からないけど、そのぐらいの気持ちでいれば不安は少なくなります。
イギリスと日本で今後どんな仕事に就くのか、今から楽しみ♫


銀行に勤めていたときも思ったけど、改めて、長年勤めてきた父の偉大さを感じました。


良い職場、そうでない職場、合う仕事、合わない仕事があるけどね、「きっと誰かが見てくれている」と思います。
そんな風に意識して働いていたわけではないけど、今回、思いがけないところで見守ってくれていた方の存在を知り、強くそう感じました。
例えその「誰か」が名乗りでなかったとしても、きっといる。
そして少なくとも「自分自身」だけは見ています。
そこでどう頑張ったのか、どう立振舞ったのかで、その先の自信に繋がっていくのかな、なんて事を思いました。


昨日、最後に頂いた素敵な言葉のギフトを心にしっかり刻んでおけば、この先頑張れる気がする。


5年3ヶ月いた場所に心から感謝のお辞儀をして、前に進みたいと思います。


9月は引き継ぎやプライベートの予定やらで3秒で終わった気がするので、渡英日までなんて一瞬だと思われる・・・。
残りの時間を大切に楽しみたいと思います!
そして準備しなきゃーーーーー!!!



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2014/09/21

迷っているあなたへ。


前回のブログ記事「29歳、焦りと不安。」が、多くの方に読んでいただけたようで、その反響の大きさにただただびっくりしました。
読んでくださった方、コメントや感想を伝えてくださった方、本当にありがとうございました。


「ありがとう」と言ってくれた方もいましたが、温かい言葉をもらえて私の方こそ心から「ありがとう」です。
もう心がほっこりヾ( ´ー`)


『迷っているあなたへ。』なんて偉そうなタイトルつけちゃったけど(☆。☆)、前回のブログを通じて連絡をくれた子がいたりして、色々な人の「迷い」を垣間みたような気がしました。


私が過去に銀行を退職したとき、カナダへ行ったとき、そして今回のイギリス行きもそうだけど、違う道へと進むことを「すごいね!尊敬する!」って言ってくれる子が沢山いました。その言葉を素直に受け止めて「ありがとう」という気持ちも勿論あるけれど、「だけどね・・・」と、その先に伝えたかったことがあったのも事実。


違う道に進むことだけが「すごい」と思われがちだけど、「そうじゃないよ」と言いたかったんです。
中には、周りの子が転職をしたり違う道に進んだりするなかで、自分だけ同じ会社に留まっていることに引け目を感じている子もいました。


だけどね、「続けることだって勇気」。


私は、そう思います。


辞めれば良いってもんじゃない。
違う道へ進めば良いってもんじゃない。
人と違うことをすれば良いってもんじゃない。


そこに自分の意思と覚悟があるかどうか、それが大事なんだと思います。
そしてそれは、続ける人にも言えること。


変化を求めて一歩を踏み出す人もいる。
同じ場所にいながら成長を続ける人もいる。
そこに「自分が選択した」という自負があるなら、それはどちらも素敵なことだと思うの。


続けることはどこか、意思と無関係にされがちだけどそうじゃなくて。
今いる場所に留まることを、「昨日も一昨日もそうだったから今日もここにいる」じゃなくて、自分の意思がそこにあるかどうか。
すごく難しいことだけどね。
だけど、だからこそ「続けることの勇気」だと思うの。どこかで迷いのある人は自問してみるといいかもしれない☆


自分で選ぶことができるなら、きちんと選びたい。
選択肢があるってことは、本当にしあわせなことです。
だからこそ迷ってしまうんだけど、それでも選べるってしあわせなこと。
時代や国が違えば、自分の人生を選択することなんて出来なかったかもしれない。
そう思うと、今ある自分の環境に感謝すると共に無駄にはしたくないって強く思うのです。


自分の意思がそこにない限り、「後悔」とは隣り合わせだと思います。
ある人が「辞めたい」という事を言っていて話を聞いてみると、「あぁ。きっとこの人はこのまま辞めても後悔するんだろうな」と思うことがあります。
一方で、本人に多少の迷いはありつつも、背中を押したくなる人もいる。
その違いはなにか。
それは、意思があるかどうかと、覚悟があるかどうか。
その二つです。


迷っているときは覚悟がまだついて来ない・・・って時もあるけど、覚悟を決めようとしているかどうかは分かります。


後悔する人は、どこへ進んでもどこに留まっても後悔するものです。
後悔しない人は、どんな結果が待っていようと後悔しないものです。


5年3ヶ月勤めた職場を、今月末に退職しますが(出勤日もあと6日!!)、その期間で数えきれないほど自分に問い続けていました。
「来年もここにいるのか」
「行きたい道はないのか」
「去年の自分に胸を張れるか」
などなど。


今回イギリス行きという決断をして退職することになったけれど、それまでの間には「留まること」をあえて選択していたときもありました。
「いつか違う道に進むことがあったとしても、それは今じゃない。」
頭がウニになりそうになりながらとことん模索して、そのときの一つの答えを出していたのです。
「留まる」という自分で答えを出してからは、同じ場所にいながらも景色が変わっていくようでした。それは、「昨日もここにいたから、とりあえず今日もここでいいや」ではなく、自分の意思でそこにいるという事で迷いがなくなったからでした。


流されるのではなく自分の心に耳を傾けて選択をしていく。
時には迷って迷って藻掻くかもしれない。
それでも、自分に問い続けることはやめたくないのです。
自分の心に耳を傾けて選択をしていくということは、未来の自分に対しての誠意だと思う。
今の自分の選択が1年後5年後の自分の居場所を作っていくならば、流された先ではなく自分で選んだ道の先がそうであって欲しい。


先週、友達からLINEで「来年留学することに決めた!」という報告が届きました。
彼女が一つの答えを出したことに凄く凄く嬉しくて、ドキドキがずっと止まらなかった!!


「だけど、すごく怖い!!」と正直に言う彼女が、何度も何度も自問自答してようやく出した答えだということを知っているから、全力で応援していきたい。
嬉しいことに同じヨーロッパだからね、何かあれば私もロンドンからバビュン!!って飛んでいけちゃうしねヾ( ´ー`)


彼女にも伝えたけどね、もし、もしも彼女が「やっぱり留学を辞めようと思うの」とこの先言ってきたとしても、私は全力で応援する。
私が海外へ行く人だから「海外へ行った方が絶対良い!!」って思っているかというと、一概にも言えないのです。
海外へ行くことはすごく良いと思う。
特に言語うんぬんと言うよりも、視野を広げる意味ではすごく意味のあることだと思うし、人生規模で考えても大きな大きな財産になると思ってます。


だけど、日本にいる人たちに対して「なんで海外に行かないの?」だなんて思ったことは一度もありません。
私が彼女の報告を受けて「凄い!良かったね!!応援するよ!!!」と伝えたのは、その決断が「留学」だったから、ではないです。
模索していた彼女が一つの答えを出したことに、心から良かったと思えたの。
もし彼女の報告が「色々と考えたけど、私は日本で頑張ることにする」というものだったとしても、私は同じように心から嬉しかったと思うから。
だからね、もしもこの先彼女の決断が変わったとしても、彼女が選択したことならば全力で応援したいなと思うのです。
彼女が自分自身ときちんと向き合って答えを出す人だとういうことを、私は知っているから。


20代、30代、迷いってありますよね。
私もいっぱい迷って迷って、その度に自分と向き合って答えを出してきたし、これからも変わらずいっぱい迷うんだと思う。
ただ、どんなに迷っても最後は自分の意思で道を決めたいし、これを読んでいる人にもそうであって欲しい。
環境がそれを許さないならば別だけれど、そうではなく周りの意見や周囲の目を気にして自分の心の声に蓋をしちゃうのは勿体ないです。
周囲の目を気にして自分の心の声とは違う選択をしたとしても、その先の道を誰も責任は取ってくれません。
自分の人生の責任を取れるのは、自分だけ。
その事を忘れたくはないです。


今回の私のイギリス行きを真っ正面から反対した人はあまりいなかったけど、反応があまりよくない人は一人や二人いました。
「行ってどうするの?」的なことだったと思う。
大切なパートナーからの言葉だったらもっと違ったのかもしれないけど、そうではない場合は「心配してくれてありがとう。でももう決めたことなので。」という答えだけで良いんだと思う。


色んな生き方があっていい。
私もあなたも違っていい。
それぞれの道を進んで行くなかで、その道が交差して出逢うことがあれば、それはすごく幸せよね・・・と思うのです。
自分だけの人生を、自分の足で歩んで進んでいく先に、沢山の出会いがあるんだもんね。
うしろを振り返ってみると、私が歩いた道には多くの大切な出会いが散りばめられていて、今の私は宝物を沢山抱えているかのよう。
どんな道を歩んでも、誰とも交わらない道なんてない。
そう思うと、今から歩く自分の道がますます楽しみになるのです。
私は私の道を歩けばいいんだな。そうすることで出逢える人たちがいるんだな・・・・って思えているから。


前回に続き少し重めな内容になっちゃったけど、渡英まで3週間を切ろうとしてます。
YMSについての情報や、この前行った大阪・京都の旅行記、そして3週間後からはイギリス・ロンドンからのブログを更新して行きたいと思ってます。
どうか、お付き合いくださいまし☆


あなたが進む道に、素敵な人たちとの出逢いがありますように。
そしてどんな道だったとしても、幸を見つけられるあなたでありますように。



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↓土曜日に行った箱根神社で引いたおみくじに、「前進せよ」と書かれていました。
「旅立ち」の箇所には、「思いっきり行くとよい、吉。」と書かれてたのー!嬉し☆
何だかあとで見返したら、これもどこかへ行こうとしているかのような写真♫



2014/09/12

29歳、焦りと不安。

何かすごいタイトル付けちゃったけど(☆。☆)


「焦りとか不安とどう向き合ってるの?」っていうお話です。


以前から聞かれることが多かったけど(自由すぎるからかな・・・)、イギリス行きを決めてからは更に聞かれるようになりましたヾ( ´ー`)


「焦りとか不安とか感じない人」みたいに思われることもあるけど、そんなことないです。
かと言って、「今焦ってます!」って感じでもない。
29歳という年齢もあって、イギリス行くことを決めるときはやっぱり色々と考えたし、「本当にこれでいいのか」っていう自問自答を何度も何度もしました。


20代の女性が言う「焦りや不安」って、「結婚」「出産」そして「キャリア(転職)」が多いのかな?


日本は特に年齢に重きを置く文化なので、数字に囚われやすい(-_☆)
まるで物心ついたときに「人生のガイドライン」を渡されて、「○歳ごろには結婚をして、○歳までには出産しているのが一般的です。転職を含め、○歳までには落ち着きましょう。そして○歳頃にふさわしい服装はこちらで、○歳になってまで○○のような服装をするのは止めましょう」みたいな事が書かれているかのよう。


私もどっぷり日本文化に浸かっていてTHE・日本人なので、年齢を無視して考えることはなかなか難しいのが現実(-_☆)


ただ一つ思うのが、「焦り」って外部的要因がほとんどな気がする。
周りから何かを言われたり、誰かと比べたりすることで、「このままでいいのかな」と焦ってしまう。
上のガイドラインの話のように、「出来れば自分もそのラインに沿っていたい」と思う人が少なくないのは、その方が安心だからよね。みんなの輪に入りたいし、そうでないと置いていかれるような気分になってしまうし。


これって、小学生や中学生の頃にあった、「○○ちゃんが入るから私もこれに入る!」ってクラブや部活を選んでいた子たちと似ているな・・・なんて時々思います。
そうなるのは、その中身よりも「周りと一緒」という安心感の方が大事だから。


27歳のとき、私にも焦りのピークがきました。
それまで、焦りとかをあまり感じることのなかった私に、異変が起きたのです。
正確に言えば、「私に」じゃなくて「周りに」。
周りがこぞって「結婚しないの?」「そろそろ見つけないとダメじゃない?」「早くこっち側(既婚)においでよ!」なんて事を言うようになってきたのです。
無意識に言っていることなんだと思うけど、それが一人じゃなくて何人かに言われると、「結婚」というフレーズはもはやスルーすることのできないものになってました。
その時の気持ちをどう表現していいか分からないけど、「結婚していない=ダメ」って言われているようで、何だかぐったり疲れちゃったのよね。


「ついに私にも焦りを感じるときが来たのかー」なんて客観的に思ってみたり。
と言いつつも、今もその時も誰かが結婚したことで焦りを感じたことはない私は、まだ浅い方だったのかも。


その後、私の焦りはすぐに引いてしまいました。
引いたというか、「いや、これ焦っても意味ないやつだ」って、焦りの感情を突き放したの。


よーく、よーーーーく考えてみると、周りに「結婚!結婚!!」って言われて焦ってみたけども、じゃあ本当に今すぐに結婚したいか?って言われると、突き詰めると答えはイエスではなかったのです。
周りにあんだけ言われて、まるで結婚していないのが悪いみたいな風に思ってしまって、「私もちゃんと流れに乗らなきゃ」って思っただけだったんですよね。
周りの望むものが自分の欲だと勘違いしちゃってたみたい。



結婚はいつか出来たらいいなぁとは思ってます(☆。☆)
したくないわけじゃなくて、これって相手あってのことですよね?
「この人と生きていきたい」って思える相手と出会えたり、「この人とならずっと笑っていたいなぁ」って思える相手と出会えたら、その時に結婚したいなぁって思ってます。
それが「周りが結婚し始めたし、そろそろそんなお年頃だから、私も結婚しなきゃ!絶対30歳までに結婚しなきゃ!!」なんて風に焦るのは、やっぱり何か違うなぁって思うのです。


焦りから解放されるための結婚って・・・なんか違う。


そんな風に言いながらも、イギリス行きを決めるときは、やっぱりすごく考えました。
29歳という数字が、重くのしかかってきたのも事実。
これからの人生について、さすがに色々と考えました。

結婚だけじゃなくて、仕事についてもそう。

だけど仕事について言えば、私は誰かと比べて「あの子はいいなぁ。恵まれてて。」って言うのは好きじゃない。

今の自分がいる場所って、過去の自分の結果で成り立ってるものです。
私が見てキラキラ輝いている子も、素敵なポジションで仕事が出来ている子も、みんな私がボケーっとしている時に違う選択をしてそれなりの努力をしてそこにいるんだと思うの。
その努力をすっ飛ばして結果だけ見て、「何であの子と私は違うんだろう…」って考えるのは、ちょっと違うかなって。

結婚も仕事も、適齢期ってある。
でもその適齢期は、みんなとの平均でもなければ誰かに決められるものでもない。
一人ひとり違うと思うの。
結婚した時がその人にとってベストなタイミングなんだと思うし、みんながみんな20代で天職に巡り会えるわけじゃない。
20代で出逢える人もいれば、40代で見つける人もいる。

焦りを糧に頑張れる人はそれで良いと思うけど、焦ってハッピーじゃなくなっちゃうのは、すごく勿体無い!って思うのです。

結婚したからしあわせ。
あの職に就いてるからしあわせ。

結婚してないから、寂しいそう。
ひとりでいるから、幸せじゃなさそう。

これは一概に言えないものです。
外からじゃ本当のところは何も見えない。
結婚しても寂しい人はいるし、憧れの職に就いても迷子になる人はいるし、結婚していなくても人生を謳歌してる人はいるし、一人でも楽しそうな人はいる。

作られたイメージに固執して本質が見えなくなりがちだけど、全ては自分次第で自分の心が決めるものだと思ってます。

ハッピーじゃなくても結婚がしたいの!っていうなら別ですが、本当の目的は「しあわせ」なはず。
それを見失いたくはないし、それは自分の手で築いていけるものだということを忘れたくはないです(。-_-。)


そんなような事を思いながら、28歳のときに「イギリスに住むかも」なんていう直感がおりてきちゃって、とんとん拍子にYMSの抽選にも通って、渡英準備をしているわけですがヾ( ´ー`)


Twitterで、「直感を信じることに不安はないですか?」という質問も頂きました。


ない!と言えば少し嘘にもなるけど、どこかで信じてるんだと思います。自分の直感を。


自分の直感を信じてるし、そこに分厚い「覚悟」を上乗せしているから、不安をあまり感じずに済んでいるのかなって思います。


今回のイギリス行きも、「あ。直感で行けってなったから、ちょいっと行ってくるわ!」なんて何も考えずに今に至っているわけではないです。
前にブログでも書いたように(その時のブログ)、何か行動を起こすときは「覚悟」をすごく大事にしているので、行動した先で思い描いていたものと大きく異なる結果が待っていても、ブレずにいられるんだと思う。


「最悪な状況も想定していく」と言うと、ネガティブに聞こえるかもしれないけど、そうではなくて。


「例えそういう結果が待っていたとしても、後悔しない覚悟はあるか」っていうことです。


良いことばかりなら嬉しいけど、そうではないのが人生。
傷つかないで生きていくことはできないし、全く転ばずに進むことだってできない。
でもね、それらを避けるためだけに安全な道を選ぶのは嫌なのです。
不必要に大変な道を選ぶ必要はないけど、自分の行きたいと思った道が少しいばらの道だったとしても、「転ぶかもしれないから」「傷つくかもしれないから」っていう理由で、「行きたい」という欲に蓋をしてしまうのは嫌なの。


ただ、それだけですヾ( ´ー`)


「傷ついた分、優しくなれる」というのは、万人に共通することではないかもしれないけど、傷つくのを恐れて前に進めなくなるのは嫌。
傷ついて初めて、似たような傷を負った人の痛みが分かるものですよね。
同じような傷を負った人に手を差し伸べる強さを持つために、自分に必要な出来事だったんだ・・・って思うようにしてます。


「直感を信じる」って、それはもう小さな成功体験を積み重ねていくことでしか得られない。
日常のちょっとした欲や直感を信じて、行動してみる。
そしてその結果が良くても悪くても、そこから何かを得ようとする。
それを繰り返すことで、直感の先に「きっと意味のあることが待っている」と信じられるようになるんだと思う。


直感を信じて行動した結果が全部大当たりだった!なんてこと、ないです。
だけど、もし良くない結果だったとしたら、「この壁にぶつかるための直感だったのかも」って思うようにしているし、もしそうならそこから何かを得ようとするので、結果的にそれすらも自分にとっての正解だったってなる☆


イギリスに行って、もしかしたら物価が高すぎて半年で帰ってこなきゃいけなくなったとしても、行ったことに後悔はしない。
その半年で得られるものはきっと多くあるはずだから。
自分が「全部無駄だ」と思えば無駄だし、小さな事からでも何かを得ようと思えば何かしら学ぶものがあるというものだと思います。


未来のことをどんなに細かく描いたところで、良くも悪くも人生は想定外に展開していくものです。
だから焦りも不安も、どんなに掘り下げたところで、得られるのは「今のハッピーではない自分」だけ。
それならば、覚悟を決めて、自分で選んだ道を、自分の手で彩っていくことを選びたい。
今回もそう思ってイギリス行きを決意しました。


モヤモヤする感情があるときは、自分と向き合うことも凄く大切だし、友達と話していく過程で答えを見つけることだってある。
私もイギリス行きを決めたときに、友達に話を聞いたり友達と話す過程で徐々に答えが見えてきました。話を聞いてくれた友達に、本当に感謝ヾ( ´ー`)


誰かや何かに幸せにしてもらおうっていうんじゃなくて、どんな状況でも幸せを感じられる人でありたい。
みんなが通る安全な道じゃなくて、自分で選んだ道を自分の手で彩りながら歩んでいきたい。


そしてその道を進んだ先に、素敵な出会いがあれば更に幸せだなと思うのであります( ´艸`)


何かを得るということは、何かを手放すということかもしれない。
だけど、失ったものを数えるよりも得たものを数えたいし、その得たものを有効に自分の人生や誰かのために役立てていきたい。
そう思ってます。


人生色んなことがあるけどね、でも、泣いても転んでも、また起き上がって笑える強さを持っていたいと思うのよ。
私にとっての10代はあまり楽ではなかったけど、だからこそ「人はまた笑える」ということを信じられてる。


また長くなっちゃったけども・・・、誰かと比べて焦ったり、まだ見ぬ未来を案じて不安になるよりも、「今の自分」をハッピーにさせる方法を考えたほうが、よほど良いヾ( ´ー`)


そして覚悟を決めて行動するならば、もう楽しむしかない。
イギリスでの生活の不安を数えたらいくらでも出てくるけど(物価の高さとか、物価の高さとか、物価の高さとか・・・)、それさえも楽しんでしまおうと思ってる。


まだまだ未熟者なわたし。
色んな事を経験して、清く強くなっていけたらいいなぁ。
そんな私のロンドン生活を、見守っていただけたら嬉しいです( ・(ェ)・)


さぁて、明日から大阪行ってきまーす♫



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待っててね!ビッグベン!!!



2013/09/10

7年という歳月。

Place: Tokyo, Japan
マレーシア旅行記の途中ですが・・・、
2020年のオリンピック・パラリンピック、東京に決まりましたね!!!



日曜日の朝、少し早めに起きてみるとテレビでは歓喜の瞬間の映像が何度も流れていました。
そして少し落ち着いたころ、招致メンバーが行ったプレゼンテーションを見ることができました。



朝から夜まで、そして次の日になっても流れるこのプレゼンの映像。
それなのに、何度だってテレビに釘付けになってしまいました。



東京オリンピックに決まったのは、招致メンバーの方々がそれを勝ち取る為に努力に努力を重ねてきた結果。背景に沢山の努力があったんだなと思うと、本当に感動。プレゼンの内容、話し方、ジェスチャーを交えて行うプレゼンに、心を打たれた方も多くいたと思います。



生きている間に東京オリンピックが見たい!と強く思っていたわけではないけれど、こうして決まり、そして招致メンバーの方たちの歓喜の様子を見て、その明るいニュースにすごく嬉しくなりました。


決まる前から、福島の問題を理由にネット上では反対意見も多く見られました。
そしてIOCの懸念も、この福島問題でした。



安部総理が、「問題はない」とハッキリと伝えたこと。
これに対して、疑問に思った方や反論したい方も多くいたと思います。



IOCの方たちがこの安部総理の発言を信じた結果東京に決まったのか、それは分かりません。
ただ、もしかしたら一つのチャンスをくれたのかなと。
現時点の福島ではなく、7年後の福島そして東京に期待してくれたのかなと。



東京に決まった以上、日本政府は福島の問題を本当の意味で「大丈夫です」と言えるようにしなければなりません。
オリンピックが決まったのだから、世界中が7年後の東京そして福島に注目しています。



福島だけでなく、東京もこの7年で色々なことが変化するはず。
そのスピードは、通常の7年とは大きく違うものです。



近いようで遠い7年。
遠いようで近い7年。



日本という国、そして東京という街が大きく変わるであろう、この7年。


変わるのは、私たちも同じ。


大人になると「7年なんてあっという間ね」だなんて思ってしまいますが、7年前を振り返ってみると、この7年間で本当に色んなことがありました。



オリンピックが決まった日曜日は、日本中のあちこちで7年後の自分を想像した人がいたんじゃないかな。



未来に続く道で、真っさらな状態で何もないと、「5年以内に」「10年以内に」という目標を立てようにも、いまいちピンと来なかったりします。
だけど、その道の先に旗が立っていたらどうでしょう。
7年後という、近くもあり遠くもあるその先に、一つの旗が立ちました。
人生規模で考えれば、それはゴールではなく、一つの通過点にすぎません。



けれど、この7年という絶妙な期間。
7年後の自分を想像してみると、何だかワクワクします。


「どこで何をしているんだろう。誰の隣にいるんだろう。」



そんな事を考えました。




7年前はまだ21歳だったわたし。
銀行員として働いていました。
カナダへ一年間行くことも、想像すらしていなかった頃です。



その後の7年間で、海外に住んだり、仕事の環境が変わったり、多くの方との出逢いもあり、恋愛でも出逢いと別れがありました。



そしてこれからの7年。
7年後、私は35歳です。



7年もあれば、英語だけでなくもう一つの言語を完璧に習得することだって可能な年月。
7年もあれば、子どもを一人のみならず二人、三人出産することだって可能。
7年もあれば、今から職を変えても、新たな分野でそれなりにキャリアを付けることも可能。



7年前、彼氏がいなかった友人が、今では結婚し3児の母だったりするんです。



今年来年で子どもを産んだとしたら、7年後はちょうど小学生。
大人になっても記憶が残っている年齢です。
そうすると、子どもにも「東京オリンピック」を見せてあげることができちゃいます。



2020年の東京オリンピックは56年ぶりという短いスパンで再度開催されることになります。
でも、2024年の開催を狙うのでは?と言われているフランス・パリは、それでも100年ぶり。



私たちの親世代は、生きている間に二度東京オリンピックを経験しますが、私たちにとってはこれが最初で最後だろうと思います。かなり長生きすれば分かりませんが(笑)



反対意見なども、色々と思うことがある方もいるかと思います。


それでも、この東京オリンピックに一つの希望を持った人も沢山いたはず。
「7年後には・・・」と、自分の未来を明るく描いた方も多くいたはずです。



時は平等に流れます。
7年という歳月は、平等に流れ、やってきます。



東京オリンピックが開催される頃、あなたはどこで何をしていたいですか?
7年後、どんな人になっていたいですか?
そしてその東京オリンピックを、誰の隣で見ていたいですか???



7年後、世界中の人が東京にやってきます。
世界中の人に「日本凄い」って思ってもらうためではなく、まずは日本人である私たちが日本を誇れるようになっていたい。そんな日本が、そこにあってほしい。
インフラの整備などは個人ではどうすることもできなくとも、国民一人一人の言動は私たち自身のもの。
私たちにもできることはあるし、落選した他の国も「東京オリンピックが人生の中で素晴らしい経験だった」と思ってもらえるものにできたら、すごく嬉しいですよね。



東京という街、日本という国、そして日本人を好きになってもらえたら、それは未来の子ども達へ渡せる素敵なバトンになると思います。



今全く英語が話せない人でも、7年もあればペラッペラになることだって可能。
オリンピックがあるからではなく、オリンピックのためではなく、7年後の自分をより輝かせるために、この7年間やれることが沢山あるんではないかなと思います。
7年後のオリンピックで、みんなきっと心の中で確認するのかもしれませんね。


「7年前の自分が描いた自分に、なれているだろうか」と。



一方で心配なのは、自然災害。
多くの方が抱いた希望の芽を、災害で摘み取られてしまうことがないことを、ただただ祈るばかりです。



東京全土でWiFi可能になるんじゃない??
という話も出ていますが、7年後です。
もはやWiFiというものすらなくなっていてもおかしくない歳月です。


スマホの普及率だって、この数年で大きく変化しました。


「そういえばスマホ使ってたよね」という会話が7年後に聞けるかもしれません。


一番期待するのは、この大都会東京でバリアフリー化が進むであろうこと。
どの程度改善されるかは分かりませんが、車椅子の方やどんな方でも暮らしやすい街・過ごしやすい街に近づけたら、すごく嬉しいです。




7年後、35歳のわたしは、どこで何をしているんだろう。
誰の隣でオリンピックを見ているんだろう。



一つ言えることは、「7年後」というのも、今日と明日の延長線上にあるということ。
いきなり何かが変わるわけでもなければ、突然7年後がやってくるわけでもありません。



今日の自分が何をしたのか。
明日の自分が何を選択するのか。



その積み重ねが、7年後の自分を作っていく。

そう考えると、7年後は遠いですがとても身近に感じますね。



2020年東京オリンピック。



7年後、東京で世界中の方の笑顔が見られますように。
そのことを願っています。






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2013/05/29

カンボジアで感じたこと。

Place: カンボジア シエムリアップ

カンボジアへのチケットが取れたとき、私の中で浮かんだのは「小学校を訪れたい」という思いでした。


カンボジアを訪れたいと思ったきっかけは、「アンコールワットが見たい!」だったけれど、それと同時に浮かんだのは、カンボジアの悲しすぎる過去と、今なお貧しい暮らしをしているという現実。
大した知識があったわけではないけれど、無知であったわけでもない。
そしてその現実を、自分の目で見たいと思ったの。



早速ネットで現地のガイドさんを検索。
そこで見つけたガイドさんに、「小学校と現地の人の暮らしが見たいです」という要望を書いたメールを送りました。
返ってきた答えは・・・、「4月は小学校お休みです」。



がーーーーーん(((゜д゜;)))



そうです、4月はカンボジアのお正月。
学校はお休みなのです。
みなさん、気をつけましょう(+_+)



でも、代案として「孤児院になら行けます」と教えてくれたガイドさん。
迷うことなく、「お願いします!」と返信しました。



そんなこんなで、孤児院と村を訪れることになったわたし。
訪れるなら、何か持っていきたいなと思ったわたしは、ガイドさんに相談して文房具を持参することにしました。



カンボジアにも、文房具は売っています。
ただ、みんながそれを買えるわけではない。
学校自体に行けていない子も多く存在するのが、カンボジアの現状です。



出発直前に文房具を大量購入。
孤児院には約90人の子どもがいると聞いたので、100人分を用意。
スーツケースに何とか詰め込み、お菓子や飴もプラス。



現地では、一つの孤児院と、二つの村を訪れました。
私が訪れた孤児院では、いつか子ども達が自立できるよう、手に職を与える仕組みづくりがされているようでした。作品が売れたら、子ども達にもいくらか入ってくる。
子ども達は一生懸命に作品づくりをしていました。




みんな作業中だったので、一人ひとりに手渡しは出来なかったけど、館長さんに渡したら、その場にいた子ども達を集めてくれて集合写真を撮ることができました。前の列の子たち、カメラじゃなくて私の方ガン見してる(笑)
手を合わせて「オークン」(ありがとう)と言ってくれて、車で帰るときには外まで出て手を振ってくれる子どももいました。



でも、「ありがとう」は私の台詞だな・・・と。
私は「何かしたい!」と思って動いたわけではなくて。
それはもう、日本で誰かの家に行くときに手みやげを持参するのと同じで、孤児院を訪れる→何か手みやげ持っていこう!って感覚でした。
結果的にそれが、子ども達の喜ぶものであって欲しかったし、それが子ども達の役に立つことができるなら、すごく嬉しいこと。



誰かに何かを渡すときに私はやっぱり「ありがとう」という気持ちになる。
なんだろう。
素直に、単純に、嬉しい気持ちになるのよね。
「こうしたい」と思ったり、「プレゼントしたい」と思う気持ちにさせてくれたこと自体に、「ありがとう」って言いたくなる。


あれから約2か月が経つ。
あの鉛筆で、何を書いてるんだろう。
あの色鉛筆で、どんな絵を描いているんだろう。


そんなことが、頭をよぎります。


現地の方の暮らしを見たくて、村にも連れていってもらいました。


「貧しくても、子ども達の笑顔はキラキラしてる」と、よく本やテレビで聞くけど、でもどうだろう。
どんなに知識をつけたとしても、どんなに本やテレビでその国を知ったとしても、実際に訪れないと見れない姿が必ずある。
結局、誰かの体験談は、その人の視点で切り取られた一部に過ぎないのだから。



私のこの旅行記もそう。
これは私が観たカンボジア。
これを読むあなたが、同じ場所を同じ時期に訪れたとしても、感じ方や見る視点は大きく変わってくると思うのです。



自らの足で訪れて、肌で感じ、自分の心の動きを知る。
これが凄く大切なことなんだなと、カンボジアを訪れて改めて思いました。



二つ目の村は、みんな笑顔で人なつっこくて、言葉なんかなくとも、笑顔で通じてるような感じだった。
だけど、最初の村は、衝撃的でした。






二つ目の村も貧しいのだけど、一つ目に訪れた村はそれ以上に貧しい村。
車を止めて降りた瞬間、子ども達が私たちの周りを囲むように集まってきました。



次から次へと集まってくる子どもたち。
まだ村の入り口にしか足を踏み入れていなくて、本当は奥まで行こうとしていたものの、奥の方から子どもたちが走ってこっちに向かってくるのが見えました。



もはや、尋常じゃない集まり方。
日本から持ってきた沢山の飴を子ども達に配ります。
増え続ける子ども達に列を作ってもらい、一人づつ渡していく。
だけど、列はすぐに乱れて、あっちこっちから手が伸びてきました。
片方の手にいくつもの飴を隠し持って、手を伸ばしてくる姿。
次第にエスカレートしていき、奪うように飴に手を伸ばしてくる子もいました。



列を乱したのがイケナイとかじゃない。
それが衝撃だったわけでも、もちろんない。



衝撃だったのは、子ども達の顔だった。
ガイドさんに「飴は子ども達が喜びます」と言われて持参した飴。
持っていったのは、正解だったと思う。
どこへ行くにも、飴は子ども達を一瞬で笑顔にしてくれたから。



だけど、この村の子どもたちの顔は笑顔というよりは、とにかく必死だった。
必死で、そして目が笑っていない子も多かった。
キツイするどい目をした子どもが多く、どんどん集まり続ける子ども達。



一緒に行動していた夫婦が持ってきた服も、ここの村に寄付しようという話で立ち寄ったのだけど、状況が状況だけに、これ以上留まることは「危険」ということで、私たちは村の入り口で引き返すことになりました。


子どもたちに囲まれながら、急いで車に乗った私の手には切り傷ができていていました。
車の窓を叩く子どもや、車から離れようとしない子どももいました。



「なんて場所なんだ」って事を言いたいわけではないし、危険だから行かない方が良いと伝えたいわけでもないです。
ただ、自分の目で見るって、こういう事なんだなと思ったの。


アンコールワットを見て、観光客が集まるパブストリートでご飯を食べて、最近増え始めたリゾートホテルに宿泊して・・・それでは、カンボジアという国を「知った」ことにはならなかっただろうなって。


色んな旅のカタチがある。
今挙げたのも、一つの旅のカタチ。
何が良くて何が悪いとかではなくて、自分が「何を選ぶか」。



孤児院や村を訪れたり、シェムリアップにあるキリング・フィールドで残虐な過去に触れてみたり、それだけでカンボジアを知れたとは言えないけれど、でも、ほんの少しでも何かを感じることはできた。
ガイドブックには載っていないカンボジアを見ることができたなと、思ってます。



自分の目で見た中で感じたのは、「可哀想」って思うのは、違うなって。



裸足で歩く子どもや、電気や水道が通っていない村で暮らす人たち。
村で出逢った子どもや、孤児院で出逢った子どもたち。



物に恵まれていないのは事実で、日本人の目から見ると、それは「可哀想」であり「不幸」にも思えるものなのかもしれない。
だけど、それは私たちの基準でしかない。



彼らの人生を、私たちの物差しで「可哀想」「不幸」って決めつけるのは、違うなと思ったの。



確かに最初に訪れた村での子どもたちの顔は強ばっているようにも見えて、飴を奪い合う姿からは決して「しあわせ」という言葉とは遠い気がしたのは事実。



だけど一方で、家族との結びつきが強いのがカンボジア。
物が溢れながらも、どんどん希薄になりつつ日本の姿と、どちらが幸せか?と聞かれて、私は答えを出すことはできない。
そして、答えを出す必要もないのだなって思う。



どちらが幸せで、どちらが可哀想だなんてのは、誰も決められない。
決めるのは、私たち一人ひとりであって、カンボジアにいる彼ら一人ひとりのはず。



私たちが、彼らの暮らしを見て、日本とは全く異なる光景を目の当たりにしたときに「可哀想」って感じるのは、もはや違うんじゃないか・・・って思ったのが、今回の旅で感じたことの一つです。



可哀想とか、不幸とかの言葉をリンクするのではなくて、目の前にいる「一人の人間」と対等に接する。
物やお金を支援するのは、「可哀想」だからでも、「不幸」だからでもない。
自分の友達が困っていたら助けるように、目の前の人が転んだら手を差し伸べるように、できる人ができる事をする。そういう事かなって。



ただ、私は物乞いや子ども達に、直接お金を渡すことはしないです。
それはどの国へ行ってもそう。
これは賛否両論あって、少額でも渡せばいいじゃん!って人もいれば、渡しちゃダメだ!って人もいる。
私は、今の段階では、後者の意見を持って行動しています。
確かにお金を渡せばそれで何か一つでも解決される事があるのかもしれない。
だけど、根っこの部分は何も変わらない。
「観光客からお金を貰える」と知ってる人は、なかなか働こうとしないという事実もある。



何かを買って渡すこと、飴を渡すこと、ジュースをあげること、それとお金をあげることは何が違うのか。
いつも考えさせられるし、自分の中で明確な答えが出せずにいる。
だけど、現時点では「お金そのものは渡さない」。これが私の一つの答え。
これはこの先変わるかもしれないし、この答えにより明確な理由を見つけることができるかもしれないし、それは分からない。



もちろん、私の考えが正しいわけじゃない。
いや、可哀想でしょ!幸せじゃないに決まってる!って思う人だって沢山いると思うし、じゃあその人が間違っているかと言うと、そうじゃない。
事実は一つでも、それを見て感じる想いや考えは何通りあっても良い。



実際に訪れて、自分の心で感じて、頭で考えたことを、一つの答えとして持っていればいいだけのこと。
私には、私の目で見て感じて、頭で整理した答えがある。
もしかしたら、違う国を訪れたり、また違った時期に訪れたりしたら、その考えだって変わるかもしれない。
それで良いのよ。



ただ、いつだってそういう現実から目をそらしたくはないし、考えることを止めたくはない。



何ができるわけでもないけど、何もできないわけでもない。
文房具を渡しただけでは、飴をあげただけでは、何にも変わらないのかもしれない。
だけど、彼らにとってその日が、少しでも嬉しい一日だったり、飴を食べた瞬間笑顔になってくれるなら、それは「何も変えられないわけではない」って思うの。



友達と二人でいて、私だけケーキを貰ったなら、私はそのケーキを友達とシェアしたいって思う。
試験のとき、隣の席の子が消しゴムを忘れてたら、自分の消しゴムを半分に切って渡すと思う。



支援とかって、そういうことじゃないかな?



何か大それたことじゃなくていい。
自分が何かしたって、結局変わらないって思ったり、何か大きな事しなきゃ!って思うから、訳が分からなくなっちゃうような気がする。



「一人の人を笑顔にする」
それで良い気がする。



シェアするという感覚で、世界が繋がっていけば良いなと思いました。



カンボジアに行ってから約2か月が経とうとしている事に驚き。
カンボジアの旅行記もこれで最後ですヾ( ´ー`)



カンボジアで見た景色、一緒に笑ったガイドさんや大阪にいる夫婦、歩いて感じた遺跡の尊さ、一人で過ごした時間。
あの日あの時感じたことを、忘れたくはないし、きっと忘れない。



素敵な旅になりました。



そしてきっと、また訪れるカンボジア。
未来の私が、何をどう感じるのか、それもまた楽しみです。



長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。



最後に、孤児院の壁に書かれていた言葉。
「Nothing is impossible, it's your choice.」


「不可能なことなんて何もない。
全ては自分次第。」



沢山のことを教わった気がします。


2013/04/04

サクラ、ひらり。


桜の満開と共に幕を閉じた3月。


4月からのみんなの新しいスタートを横目に、桜がヒラリと、散り始めてます。



4月1日。
入学式や入社式で、街も何だかソワソワしてるように感じました。
駅では、定期券を購入すべく長蛇の列。
夜の街では、まだ慣れぬスーツに身を包んだ新社会人たちが、必死に先輩達に付いて歩いてる。
過去の自分と重ねてみたりして。


多くの人が新しい場所へと向かう始まりの朝が、何も変わらない私でさえ、特別に感じた4月1日。
朝、空を見上げてみたら、綺麗な青空が見れた。


始まりの日の、青い空。



思わずiPhoneでパチリと写真撮っちゃった。



春。
何かを始めたくなる季節。


出逢いや別れ、新しい場所でのスタートなど、環境が変化をもたらしてくれるこの季節。
だけど、自らが動いて変化を求めることも、忘れたくないです。



始めなきゃ、始まらないんだから。



この前、ある募集に応募してみました。
募集要項をみても、その募集している元を見ても、本当は応募することすら躊躇うくらいのもの。
「きっと、場違い・・・どころか、お呼びでない・・・って感じだろうなぁ(-_☆)」と思いながらも、応募しちゃいました。



資料を集めたりと、準備するのに少し時間がかかったりして、可能性が薄すぎるところに何で時間割いてんの?って感じだけど、これは自分の為でもあって。



やる前に、「きっとダメだから、やーめた」って言うのは簡単。
だけど、少しでも、「やってみたい!」って思って、それに応募する機会があるんだったら、例え1%の確率でも、手を伸ばしてみることが大切なんじゃないかなって思ったの。



やる前から「諦め癖」はつけたくない。
やらなければ、0%。
でも、手を伸ばせば、1%くらいは可能性があるかもしれない。



今の私には、「やりたい」と自分の中で芽生えた想いを、きちんとカタチにする事が、未来の自分に対しての誠意だと思ったの。
今の自分のベストを尽くしたい。



未来の自分は、今の自分が創っていくんだもん。
どんな道を、どんな風に歩き、どんな方向へ進んでいくのかは、全部今の自分次第。
その先に、未来の私がいるんだから。



何もせずに進んでいけば、今とそんなに変わらない景色が待ってると思う。
でも、結果はどうであれ、何かに手を伸ばし続けて進んだ先には、例え同じ景色でも、見る私の心は大きく違ってるはずだから。



「やりたい」と思ったことには、「何でやらないの?」と、自分で問いかけていきたい。
「行きたい」と思ったときには、「何でいかないの?」と、自分で問いかけていきたい。



未来の行きたい場所へ連れてってくれるのは、今の自分だものね。



動くことが大切。
そう思って、場違いであろうところへ応募したわたし。
今は凄く清々しい。
「どうせ受からないし、面倒くさい」を理由に何もしなかったら、きっと今の私は挑戦しなかったことへの後ろめたさが残っていた気がするから。



望みは1%しかないと分かっていても、送ったからには、「結果はどうでもいいの」とは言いません。
そんなの、きっと本心じゃないもの。



そんな、春うららですヾ( ´ー`)



綺麗な桜に見とれて、立ち止まるとき。
同じように、桜の前で立ち止まっている人に気付く。
おもむろに携帯やデジカメを取り出して、写真を撮る姿は、心がほんわか温かくなります。


自然を「美しい」と思う心に、性別も人種も年齢も関係ない。


誰かが写メを撮る姿は、何だか微笑ましいです。


来年は、どんな想いで桜を見上げるんだろう。
そのとき、私はどこにいるんだろう。
わくわくする(。・ω・)ノ゙


今年もいっぱいあなたに魅せられました。
時期が短いからこその儚さ。
今年もありがとう。



また、来年の春、楽しみにしてるねヾ( ´ー`)


2013/03/16

選択するということ。


久しぶりのブログ更新になっちゃいましたφ(.. )


3月は比較的ゆっくりできそうと思っていたけど、いざ3月になってみたら、結局パタパタしてました。
そして気付けば、3月も残り半分・・・。
分厚いコートを脱いで、春を思わせるパステルカラーのスプリングコートに袖を通せるような暖かさも増えてきた、今日この頃・・・みなさま、いかがお過ごしでしょうか(-_☆)


昨年から、取材やイベントを通して、色々な方にお会いできる機会が増えました。
それは以前ならお会いすることが難しかった方だったり、自分とは全く違う分野の人だったり。
そういう方への取材や、プライベートで話をさせて頂くと、毎回毎回たっっっぷりと刺激をもらいます。


刺激をもらった日の帰りの電車の中では、ドキドキしたり時にはわくわくしたりする中で、色んなことが頭をよぎる。



「私には、なにができるだろう」


これが多分、どの方にお会いしても結局辿り着く、自分への疑問。
ブログでも書いてたように、今私がしていること、そしてやりたいと思っている目標に、揺らぎはないし、不安に駆られているわけでもない。
誰かに対しての劣等感でもなく、自分に対して自信喪失しているわけじゃない。



でも、「絶対大丈夫!!」だなんて、根拠もない自信だけで突っ走れるほど、無知でもない。



取材相手に限らず、「凄いな」と思う人は、いつも何かを「カタチ」にしている人たち。
どんなに素晴らしいことを頭の中で描いていても、どんなに熱い想いがあったとしても、全ては行動しない限り「カタチ」にはならない。



もし誰かが始めたことが、前々から自分も思い描いていた事だったとしても、行動にしたかしなかったかの違いは、思っている以上に大きい。



過去を振り返ったとき、何かしら自分のなかで決意したことや、「こんなのやってみたい」と思ったことがあったとして、それをきちんと行動にうつしたり、継続していたら、「今の自分には何か備わっていたんじゃないか」と思うことって、ないですか?



日々、わたしたちは選択しながら生きている。


「走れば信号渡れるけど、まだ時間あるしゆっくり行こう」
「スタバとタリーズ、どっち入ろうかな」
「今日は何着ていこうかな」
「本屋さん寄って帰ろうかな、それともまた明日にしようかな」



私たちの日常は、「選択」の連続で出来ているのだなと痛感するの。
「選択」とは、何も、進学・留学・就職・転職・結婚などの人生規模の事だけじゃない。


朝起きる時間も、歩いている道も、飲むドリンクも、ランチに食べるものも、発する言葉も・・・すべて。



日常の中で起きる些細な選択は、「選択」をしているという自覚さえないかもしれない。
だけど、今の自分そのものが、過去の自分が選択してきた「結果」。



行く場所、会う人、読む本、観るテレビ、聞く音楽、着る服、食べるもの、通勤電車での過ごし方、平日の夜の過ごし方、相手への言葉の選び方・・・これらの選択を変えるだけでも、1年後3年後の自分は大きく変わってくる。



自分よりも「凄いな」と思う人がいたとしても、「羨ましい」と思うのは、少し違うのかなって思うの。
だって彼らは、私がぼーっとしていた時間に、私とは違う時間の過ごし方を選択していたはずだから。



私が選んできたものの先に、今の私がいる。
彼らが選んできたものの先に、凄いなと思える彼らがいる。



過去の自分への後悔はするつもりもないし、したって何も始まらない。
ただ、もっと色んな事を意識して生きたいと思った。


怠けたら、怠けただけの結果が、私の未来で待ってる。
何か行動を起こしたら、良くも悪くも、「結果」をちゃんと体感することができる。



あの道を曲がっていたら、違う未来があったのかもしれない・・・そういう選択を、きっと私たちは誰もがしてきてる。
だけど、選択したからには、選んだ道を「正しい」と思って進んでいきたい。
選ぶことも大事だけど、選んだ道をどう進むかで、その道の景色は大きく変わってくる。


過去にしてきた一つひとつの選択、そして今ある自分をきちんと受け入れたい。
その上で、今日も多くの選択が求められるように、この先にある一つひとつの選択を、未来の自分につながることを意識して選択していきたい。



「また今度にしよう」と怠けて何もしないことも出来れば、「ちょっと頑張ろう」と毎日少しでも時間を割くこともできる。
どちらの選択を毎日繰り返すかで、1年後・2年後の自分はまた大きく変わってくる。


未来の自分が「こうなっていて欲しい」と願う何かがあるなら、「こんな風に働いていたい」「こんな生き方をしていたい」と思う何かがあるなら、なおさら。
「気づいたら、そう願いながらも年数が経っていました」ってならないように。


「美は一日にしてならず」という言葉があるように、それは人生も同じ。
毎日のケアが3年後、5年後の美へと影響してくるように、
今日、明日、どう過ごすかの繰り返しが人生を作っていくのだから。


1年後の自分が、3年後の自分が、今の自分に感謝したくなるような。
そんな選択をしていきたい。


今の選択が、未来の自分へのギフトになるように。


自分の人生をデザインするのも、毎日をデザインするのも自分だもん。
自分が納得するものを描いていきたい。


「私には何ができるだろう」


大きな何かはないかもしれない。
でも、自分のなかで描く「こうしたい」「こうありたい」「こんな事をしたい」と思うことを、小さいことでも一つひとつ、きちんとカタチにしていこうと思う。


未来へ繋がる今日を、きちんと大切に過ごしていきたい。
そんな風に思う、ぽかぽかな土曜日の朝です。


さて、今日はどんな一日にしようかな♪


ハッピーな週末をお過ごしくださいヾ( ´ー`)

2013/02/19

28歳になりました。


18日に、28歳の誕生日を迎えました。


28年前の2月18日から昨日まで、10227日。
私が生まれてから過ごした日数です。
(数えたわけじゃないよ、生年月日入れると表示されるサイトがあるんだよ。笑)



自分が歩いてきた道を、ふと立ち止まって振り返ってみる。



楽しくてキラキラした思い出もあれば、辛くて泣いていた日々もある。
だけど、どんな一日でも、どんな道でも、振り返るとすべてが愛おしくさえある。



「もう28歳か」っていう感覚はあまりないの。
よくね、「20代のうちが華」とか言われるけど、そうは思わない。



年を重ねることを「怖い」と思う人は、人の魅力は外見で決まると思ってるからなのかな?
年を重ねることは、むしろ楽しみでもある。急いで年を重ねたいとは思わないけど、一つひとつの年齢にはその時の楽しみがあるはずだから。
そして、年を重ねるごとに、中身は磨かれ熟されていくものだと思いたい。


10年前の自分よりも、今の自分の方が好き。
5年前の自分よりも、今の自分の方が好き。



それは、過去の自分が嫌いだとかではなく、色んな出来事や出逢いを経て、得たものが多いから。




白か黒しかなかった10代のときよりも、グレーの存在を知った今の方が、楽になれた。
前はもっと自分の中で「こうあるべき」という考えが強かった。
でも、結局それは自分自身を苦しめていたみたい。



人との距離感、自分の機嫌の取り方、小石に躓いたときの心の対処法・・・挙げればキリがないけど、年を重ねるごとに、色々な事が分かってきた。
それは誰かと付き合って少しずつ相手を知るように、自分という一人の人間を時間をかけて知ることができているからだと思う。
一つひとつ年を重ねることで、また自分を知って、どんどん楽になっていく。



肩の力が良い具合に抜けてくる、そんな感じです。
そうすると、誰かのことも許せるようになってくる。



何かを許すこと、誰かを許すこと、それで救われるのは、他の誰でもない自分自身なのよね。



歩み続ける足を止めたくはない。
学ぼうとする意欲を失いたくない。
好奇心や冒険心は、何歳になっても持ち続けたい。


年を重ねるごとに、味が増す人でありたい。


28歳の今よりも、50歳になる未来の私の方が魅力的であるような生き方をしたいと思う。
だからね、「20代が華」だなんて思わない。
20代は種まきの期間だもの。
すべては、これからよ。



10227日生きてきた中で、沢山の選択があった。
今までの一つひとつの選択の先に、今のわたしがいる。
今まで歩いてきた道で、みんなと出逢えた。



誕生日には、メールやLINE、Facebookやtwitterで沢山の「おめでとう」を受け取りました。
「ありがとう」と返す言葉に込める想いは、一人ひとりに対しての「出逢ってくれて、ありがとう」。
私が今まで選択して歩いてきた道に、一人ひとりとの出逢いがあり、色んな形で私の人生と交わってくれた。
そのことに、ただただ、感謝。



「ありがとう」の想いでいっぱいになる一日。
それが、私にとっての、誕生日。



28歳、良い意味で忘れられない歳にします。



いつも、ありがとう。
大好きですヾ( ´ー`)

2013/02/13

映画。


映画館に住んでしまいたいくらいに、映画が大好きなわたし。


7歳頃から毎週のように映画館へ連れていかれ、字幕の漢字も満足に読めないながらも、顔ごと字幕を追うように大きい画面に釘付けになっていた子どもの頃。もう、あれから20年が経ちます。


私を映画漬けにしたのはお母さん。
今ではお母さん以上に映画にハマり、映画館にも足繁く通い、DVDを借りては時間を見つけて観る・・・という映画生活をしています。


映画はずっとずっと好きだったけど、声を大にして「映画が好き!」と言えるようになったのは、実はここ2、3年。
それまでは一人映画もしたことなければ、「映画は割と観てる方」とは言いながらも、それを全面に出すことはしていなかったです。


でも、「好き」も立派な強みよね・・・って思いはじめ、自分の好きな事を全面に出すことにしました。
好きなことには素直になった方が絶対に毎日が楽しい。


約20年前、最初は訳も分からず連れていかれていた映画館。
今とは違って、チケットを買うのにも並び、上映開始前にも並び、そして自由席だったから席を取るのに急ぎ・・・と、毎週末その繰り返しだったのを覚えています。



最初はじっとしている事が苦痛だった映画館も、次第に大きな画面の向こう側の世界に魅了されて、自ら次週の映画スケジュールを確認するようになり、映画館へ行くのが本当に楽しみになっていました。



映画で観た外国の街並みに惹かれ、異国の地への憧れを抱くようになるのに、そんなに時間はかかりませんでした。
大きくなったら英語を話せるようになるんだ!と信じて疑わなかったのも、映画の世界で耳にした英語がかっこよく思えたから。



海外が好きなのも、旅行が好きなのも、英語が好きでカナダに一年滞在したのも、すべての始まりは映画だった。
幼い頃映画に触れていなければ、私の「好きなもの」も私の生き方も、きっと大きく違っていたんだろうなって凄く思う。



「映画×旅×写真×文章」


大好きなこの4つは、きっとこれからもずっと変わらずに好き。


奥さんになっても、お母さんになっても、おばあちゃんになっても、出来る範囲でこの「好き」を追い求めていきたい。
好きを極めて、近い将来それらをカタチにしていきたい。



今は、映画を観たあと、必ずtwitterで感想を書いてシェアしています。
もし、公開中の映画の感想やDVDの感想をリアルタイムで知りたい方は、ぜひtwitterを見てください。



必ず聞かれる「一番好きな映画は?」の質問には、なかなか答えられないけど、人よりも多く観ている分、シェアをして映画館へ行く前の参考にしてもらえたら嬉しいなと思っています。
映画ブログを書くことも勧められたりするんだけど、それはまだ考え中。



何度も訪れてる映画館だけど、行く前はいつもワクワクしています。
観に行く作品や映画館の場所によって、観客のカラーが違うのも面白い。


映画のコラムとかを書けたら嬉しいなぁ。
もしくは、やっぱりおすぎの座を狙うとか(☆。☆)



恋がしたくなる映画。
お洒落がしたくなる映画。
雨の日が楽しくなる映画。
食べ物が美味しそうに見える映画。
仕事を頑張りたくなる映画。
友達に会いたくなる映画。
家族をもっと大切にしたくなる映画。



色んな映画との出逢いがある。
違う景色を見せてくれる映画に、どんなに月日が経っても、飽きることはないです。



大好きなことを、大好きと言えるのは幸せなこと。
大好きなことを、誰かにシェアできるのも嬉しいこと。
大好きも究めれば、個性となり強みとなる。


前の座席の人の頭で字幕が見えないと、一生懸命背筋と首を伸ばして映像を追いかけていたあの頃。
20年経った今も、映画館へ行く前のわくわく感は褪せることはないです。

2013/02/04

わたしの生きる道。


最近、めっきり不安にならなくなった。
焦りもしなくなった。



でもそれは、何かを諦めたからじゃない。
むしろ、信じはじめたからだと思う。
自分が今歩こうとしている道を。



根拠もなく、ただただ、「大丈夫」と思えている自分がいる。
きっと大丈夫、絶対大丈夫!・・・と、小さくだけどとても強くそう思っている自分がいる。


なんでだろう。


私が今歩いている道も、方向性も、間違ってない。って信じられてる。


もしかするとね、5年後の未来は、結局何にもなれていない私がいるかもしれない。
今こうして描く「こうありたい」と思う姿とは程遠い未来だって、あるのかもしれない。


だけどね、そしたらプランBでスタバの店員さんになってお客さんにハッピーを届ける人になるの。
プランBでも、十分幸せに暮らしていける自信がある。
プランCでは、パートのレジ打ちをしているかもしれない。だけど、そしたらレジ打ちのスペシャリストか、お客さんに愛されるレジ打ちになるわ。



どんな生き方が待っていようと、ハッピーにやっていける自信が、ある。


でもそれは、全力でプランAを掴みに行った結果でないと、意味がない。
最初からプランBに行くつもりは、ない。



どんなに未来を描いたところで、結局ここからは見えないもの。
今、一歩一歩進んだ先に未来がある。
今日のあとに明日があるように。



どんな未来を願おうと、願っているだけじゃ、描いた未来はやってこない。
それに描く未来はその都度変わったっていいと思う。自分が望むなら。
一歩踏み出してみたら、そこから見た景色で違う未来が垣間見れた・・・とかだって、十分にあり得る。
それなら、次の一歩を変えていけばいい。


でも「ありたい姿」が明確なら、一歩一歩そこへ向かって進んでいくのも一つの選択肢。進んだ先で、もしどうしても目的地に辿り着けないときには、プランBの人生もあるかもしれない。
だけど、プランAに向かわずしてプランAに辿り着くことはない。


一年前の今頃、すっごく藻掻いていたし、ただただ焦っていた。
そしてその時には、一年後のいま、こうしてこんな内容のブログを書いてるだろうだなんてこと、一ミリだって思わなかったし、思えなかった。
むしろ、私はどこへ向かっているのか、何をしたいのか、次の一歩をどっちへ出せばいいのか・・・もう全てが分からなかった。



たった一年後だって想像さえつかない未来が待っていたりするもの。
それは良い意味でも悪い意味でも。
だからそれなら、未来の結果がどうであろうと、今は「こうでありたい」と思う気持ちを大切にして一歩一歩進んでいけば良いんだなって思える。



進む方向がわからない時は、模索をする時間なんだと思う。
人に会ったり、本を読んだり、時にはセミナーに行くなり環境を変えるなりして、ひたすら動きながら考える時間なのかもしれない。



焦っちゃうときは、無理に「焦らないように・・・」って思っても、どうしても焦ってしまうもの。
焦らしたままでも良いのかもしれない。
生き急いじゃうときは、生き急いでいいんだと思う。
焦るのってしんどいし、ちっともハッピーではないけど、それでもきっとその中から気付くものってあるはずだから。



今は不安もなければ焦りもないけど、もしかしたら一年後の今頃はめちゃくちゃ焦ってるかもしれないしね。だけどそれだって、今の私には分からないこと。



いま、私がすべきことは、ただ前に進み続けること。
昨年とは違う一年にしたいなら、そして更に前進したいなら、昨年とは違う何かをしないと。
昨年と同じ行動をしていたら、何も変わらない。



これが今の私の課題です。



慣れてくると居心地がよくなってしまうけど、居心地が良すぎて動けなくなるのも、また怖い。
居心地の良い場所って、そのままぬくぬくそこにいたくなる。
だけど、今以上の未来を望んでるなら、また一歩踏み出さないと・・・って思ってます。



一年後に、「あぁ何も変わらなかった・・・」と同じ景色を見ていたくはない。
どうせなら、2013年の終わりに、今年もやりきったし2014年が楽しみ!って気持ちで大晦日を迎えたい。



新しい環境や新しい何かって、ワクワクもするけど、エネルギーも必要になってくる。でも、一年後に後悔しないためにも、プランAに向かって頑張りたい。



もしもプランAがダメで、5年後の私がプランBの人生に方向転換していた場合は、みなさま・・・スタバでお会いしましょう。



とか言いつつ、気が済むまでとことんプランAを追い求めて進んでいきますけどね。むしろ暴走注意(☆。☆)
今はひとまずプランBの人生は忘れて、お客さんとしてスタバをこよなく愛します。らぶ。



そして、とうとう私もインフルエンザにかかってしまいました。人生初。
今はもう治って今日から出勤しましたが、一週間まるまる休み、ポカリだけで生活していたら、身体の中がほぼポカリになりました(-_☆)
インフルに痛みがあるなんて知らなかったー。

みなさま、どうぞ体調など崩されませんようお気を付けくださいまし。



写真は、インフルにかかる前日に訪れた茅ヶ崎の海。
大好きな景色です。




2013/01/22

やりたい事100リスト。


昔、「もしも親がいなかったら、何を一番したいだろう」って考えたりしてた。



それは、親がいない方がいい!とか、縁起でもないようなことを考えていたわけではなく、ただ、どこかで分かっていたから。
自分が抱いている欲は、親が許しをくれる範囲での場所でしか見れていないことを。



それはまるで、大人が描く「一億円当たったら何をしよう」という妄想と同じようなもの。



無意識に制限範囲内でしか欲を抱かなくなっている自分に気付いたとき、せめて妄想だけでも「何でも叶うとしたら、私は何をしたいんだろう」「どんな職業に就きたいんだろう」って考えるようにしてた。



そこで出てくる想いこそが、私が本当に抱いている欲だと思ったから。
叶う術や叶えられる確率なんてどうでもいい。
そんな事を考えていたら、きっと私が抱く欲は、今の場所から手を伸ばしてすぐに届く範囲でしか抱かなくなる。



子どもの頃は、親の制限で足踏みしていたものが、大人になると、それはお金の制限や、世間の「常識の枠」に変わる。




子どものころ、親に「ダメよ!」と言われても泣きながら欲を叫んでいたのに。
大人になったら、自分の足で好きな場所へ行き、好きな人に会い、好きなものに囲まれて生活するんだ!って、思っていたのに。



私の「大人になりたい」病は、今から振り返っても相当強い欲だったように思う。
だから今でも、ちょっとした事で「大人の自由」に嬉しくなったりするの。



欲しいものを、自分の意思で自分のお金で手に入れたとき。
寝る前の長電話も、自販機にコインを入れる瞬間も、終電ギリギリに帰る家までの時間も。
今ある一つひとつの時間が、自分の意思で流れていく。



大人になったいま、自分の足で好きな場所へ行ける。
色んな制限はまだあるかもしれない。仕事、家族、時間、お金・・・もしかすると現実が見える大人の方が、挙げたらキリがないかもしれない。



だけど、等身大の欲だけだと、それはきっと今の自分が手を伸ばせる範囲でしか物を欲しなくなる。
「身の丈にあった」と言う言葉を使うのは、物に対してだけでいい。
「こうありたい」「こう生きたい」という欲に対しては、貪欲でありたい。出来る範囲を、自ら決めてしまいたくはない。



日曜日の午後。
外を見れば、すっごく綺麗な青空。
1月とは思えないほど、太陽に照らされたベランダはポカポカと気持ち良くて、ベランダのテーブルでお気に入りのノートを開いて、「やりたいこと100リスト」を作ってみました。




その時は、もう自分を取り巻く制限なんて考えない。
例え「宇宙に行きたい!」でも良い。
叶う叶えられないは考えず、思いつくままに書いてみた。



でもね、案外難しいの。
制限をかけないとか良いながら、「ドラえもんと一緒に住む!」だなんて事は書かないわけで。
気付いたら、最初は現実的に叶えられそうなものばかりを書いてた。



でも、時間をかけてゆっくりと、時々空を見上げてボーッとしたりしながら書いてたら、ぶっ飛んだ事から明日にでも叶えられそうな現実的なことまで沢山出てきました。
自分一人で叶えられる事もあれば、相手がいないと叶えれないものもあって。



書いているうちに、どんどんワクワクしてきて、何だか全部叶っちゃいそうな気持ちになってくるから不思議。



書いたから叶うわけではない。
でも、自分の本当の欲を知ることって、すごく大切。
書き出してみると、知っていたようで知らなかった自分が沢山見えてくるから面白い。




今すぐに手を伸ばせば届く欲は、躊躇なく掴めばいい。
少し背伸びをして届くもの、ジャンプをしないと届かないものは、手段を考えて獲りにいけばいい。



欲に気付いていても、頑張れば掴めることでも、手を伸ばさずに後回しにしていることって案外あるもの。
行きたい場所、会いたい人、やりたい事・・・・それらの欲を満たしていけるのは自分。
最初は小さなことでもいい。
少しずつ、叶える癖をつけていきたい。
「本当はずっと行ってみたかったんだ!」って場所に、行ってみることだって一つの満たし方。



自分の意思で動けるほどに大人になったんだもの。



あと一週間の命だったら何をしたい?
そんな質問を自分に問いかけてみるのも有りだと思う。



「死ぬまでにしたい事」ってよく言うけど、でも、いつ死ぬなんて誰にも分からないんだから。
叶えていきたい、一つひとつ。




ちなみに、私のリストを見返してみると・・・「旅、ライター、映画、家族、恋愛」から派生する欲が多かった。




書いたリスト、定期的に目を通してみようかな。
そしてそのリストの項目はきっとこれから増えていく。




数年後の自分が見たとき、その中のいくつが叶っているのかを知るのが、今から楽しみです。
未来の私が、今の私に感謝したくなるくらい、一歩一歩きちんと前に進んでいこ。




やりたい事リスト、大切な人とシェアするのも面白いかも。
相手が自分に近い人であればあるほど、そのリストに書かれている欲を一緒に叶えることだってできるかもしれない。
自分では叶える術が見つからないものでも、見せた相手がそのヒントをくれるかもしれない。



欲に対して、あなたがしている「我慢」が、何かを守るために必要なものなら、それも一つの答えかもしれない。
でも、その「我慢」が、世間の常識に惑わされているもの、叶えようともせずに「仕方ないから」と最初から諦めているものなら、もう一度考えてみてほしい。それが誰にとっての我慢で、本当に必要な我慢なのかを。



人生は一度きり。
今この瞬間も二度とやってこない。
いつ終わりが来るかなんて、誰にも分からない。


だから、助走つけて思いっきりジャンプしたい!




2013/01/14

歴史に魅せられて。


「勉強しなさい」と言われると、たちまち勉強したくなっていた反抗期な中学・高校時代。



そして、ぱったり「勉強しなさい」と言われなくなった短大時代は、がむしゃらに勉強するように。
今では、何かを学んで習得することが、好きでさえあるから不思議。



歴史も苦手科目の一つでした。
誰かの誕生日や電話番号など、数字を記憶することが人よりも得意なはずなのに、年号はどうしても覚えられなかった。
映画が大好きで、映画のタイトルやハリウッドスターの名前はいーっぱい記憶されているのに、歴史上の人物は日本名なのに覚えることが出来ませんでした。



もはや、拒否反応か(-_☆)



そんな私も大人になったいまは、むしろその歴史に興味が沸き、「もっと知りたい!」って欲に駆られています。



そもそも考えてみれば、歴史は私が好きになってもおかしくない分野だったはず。
一つひとつの物や景色にも、必ず人との繋がりがあって、受け継がれてきた背景を思い描くのが好きなわたし。
そして大切な人のご先祖様や、遠い昔生きたであろう誰かの人生に想いを馳せることも、私の中に染みこんでいること。



普段通っている道が、何百年前はどんな姿だったんだろう・・・とか。
私のお祖母ちゃん、そしてそのまたお祖母ちゃんの生きた証が、今の自分でもあるんだなと思ったり。
テレビとかでたまに見る昔々の写真では、そこに写っている人たちはどんな人生で、どんな事を想い生きていたんだろう・・・と思いを巡らせてみたり。



「いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府」
なんていう語呂合わせを覚えるのに四苦八苦していたあの頃には、歴史そのものの面白さに気付けなかったです(ノ_-。)



今は、歴史小説を読んでみたり、ドラマを見てみたり。
歴史に忠実ではないものもあるので、NHKやBSで放送している歴史番組を見たりするくらい、昔の人が歩んできた道を知りたくてたまりません。



まだまだ知識も乏しくて、知らないことだらけだけど、学生の頃のようにテストがあるわけでもない。
私のペースで、知りたい事を知りたい様に、そして好きな方法で学んでいきたいなと思います。



歴史を知るようになったら、日本で行きたい場所がどんどん増えてきました。
例えば京都だって、あの情緒ある街を、歴史を知って歩くのと、何も知らないで歩くのとでは、楽しみ方も大きく変わってくるはず。



遠い遠い過去。
教科書に出てくる有名な人だけでなく、名前も知らない誰かであっても、その時代を生きて、泣いたり笑ったり怒ったりしながら懸命に生き、繋いだ命があるんだなって。
そう想うと、日本という国、そして「生きる」ということそのものが、とても愛おしくも感じられる。



私たちが生きている今も、いつの日かの歴史になる。
私が歴史を楽しみ、江戸時代に興味を持ったように、200年後の誰かが、今のこの平成という時代を「面白い」と思って見てくれる人がいるのかな。



私が歴史に興味を持ったきっかけとなった小説。
それは「小説 上杉鷹山」童門冬二・著。
歴史に興味がなくても、小説としても十分楽しめます。
また、上杉鷹山は、あのケネディ元大統領が来日した際、「最も尊敬する日本人は?」という問いに、「上杉鷹山」と答えたことでも有名。



歴史を知るためだけでなく、ビジネス書としても度々紹介されるくらい、米沢藩の藩主として生きた上杉鷹山から学ぶことは沢山あります。



大人になって歴史が好きになる。
「すきなこと」が増えるのは、とても幸せなことですね。



日本で日本人として生まれたのだから、やっぱりとことん日本を味わい尽くしたい。



写真は、週末訪れた箱根で撮った一枚。
きっとこの自然の景色は、ずっとずっと変わらずにここにあって、遠い遠い過去の誰かの心をも打った景色なんだろうなと思うと、また感慨深いです。



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