2012/08/23

感謝。


昔から、「特技」という言葉に困惑していたわたし。


「特技ってなに?」と聞かれれば、首をかしげ、頭が???となる。
プロフィール欄に「特技」を書く項目があれば、書いていた手が止まる。


日本人特有の謙遜でも何でもなく、自分にとっての「得意なこと」が本当に分からなかった。
そして私はずっとそれが欲しかった。「得意なこと」。
人に誇れるなにか。
でも、どんなにどんなに考えてみても、思い当たらない。
全て月並み。悪い時なんて月並み以下(→o←)ゞ



ネガティブに言ってるわけではなく、事実そうだった。
この前、たまたま母親が私の小学生の時の通信簿を見つけて、渡してきました。
それを見てびっくり。
先生からのコメントは二人笑って読んでいたものの、それぞれの科目の成績は・・・なんと「オールB」。
可もなく不可もなく。
学期や学年によっては、一つ二つの科目でAを取っていたものの、それ以外は面白いくらいBが並んでいました。



「面白みのない成績だね」なんて言うお母さん。
成績に面白さ求められても!!って思いつつも、これぞまさしく「THE わたし」。



まぁ小学生の時の成績だからこんな呑気に、しかも大々的に暴露していますが(-_☆)


「得意」と言える事が何一つとして見つからないまま大人になりました。
それがコンプレックスでもあり、原動力でもありました。


そもそも、「得意なこと」というものは、自分一人ではなかなか見つけにくいものなのかもしれません。
大人になってから知った「早起きが得意」ってことも、周りの子にとって毎朝5時半に起きる事は難しいという事を知ってから。



タイピングが早いのも、私がタイプを打っているのを見た友達が「早すぎる!!」って驚いたから。



ずば抜けた才能があったり、競い合って優勝したり、そういうものがあれば分かりやすいものも、そこまではいかない日常生活のちょっとした「得意なこと」というのは、人に言われて初めて「あ、そうなんだ」と思えるような気がします。
自分にとってはそれが「当たり前」の事でも、人から見たら「周りとは違う」という事だってある。



私は今年に入って転職を決意したあと、ずーっとモヤモヤが取れませんでした。
「このまま企業に転職して良いのか?」何故かずっと引っかかりが取れずにいて、沢山考えた結果「このままだとなりたい自分にはなれない!」と気付き、転職をやめました。



その時思った「なりたい自分」が何だったのかはよく分からないけど、私は「今転職するのは違う!」という直感だけで答えを出し、その直後に良いタイミングで自由大学 との出逢いがあり、受講を決意。
そこでの講師の方達からの教えは勿論ですが、一緒に受講していた方達との出逢いが私にとってとても大きく、刺激をたっぷり頂きました。



私の強みって何だろう。
何が出来るんだろう。
何がしたいんだろう。
もはや短大の時の就活時のように、人生規模で模索をしていました。
ですがその頃と違っていたのは、机上で考えるのではなく、とにかく動いたこと。



この数ヶ月、私はとにかく外に出て行きました。
自由大学で知り合った方がワークショップを開けば参加をし、気になる方のトークイベントやセミナーがあれば出席をする。
「私はどこへ向かっているのだ?」と疑問に思う事もありましたが、それでも動いたり、何かに触れる事で、また新たな気付きを得たかったんだと思います。




「考えてから動く」のではなく、「動きながら考える」。
今までの私は「準備が整ってから。」「それなりに形になってから。」「ちゃんと力が発揮出来そうでなければ、手は挙げない。」でした。



自由大学への入学もそうでしたが、「背伸び」って凄く大切だなと。
自分が手を伸ばして簡単に届く範囲ばかりで動いていたら、きっと人は成長しない。
少し背伸びをして届く場所、時にはジャンプをしないと届かない場所へ手を伸ばしてみる事は、自分の可能性を広げるにはとても必要な事なのだなと実感しました。



なのでこの数ヶ月、「居心地の悪い場所」にも行きました。
「居心地の悪い場所」とは、劣等感を感じる場所、場違いだと思われるような場所。劣等感を感じて落ち込んだりはなかったですが、「うわー私何もない!」って思わされる場所に、沢山行きました。



でもそのぐらいが成長するには良いのかもしれません。
自分とは何か違うものを持っている人たち、既に色んなモノを形にしていっている人たち。
その方達と出逢い、話を聞き、見えてくるものがある。



「動きながら考える」を繰り返し、時にはもぐらのように一人でひたすら模索をした事もあったけれど、ようやく見えてきたものがありました。
それは私はやっぱり「書くことが好き」というもの。
ブログを7年間続けて来られたのも、純粋に書くことが好きだったから。



「特技」がなかった私が、一つだけ周りにずっと言われていた事がありました。
それは「文章が良い」ということ。



言葉や文章については、10代の時から褒められる事が多く、最初に「清香語録の本があったら、読みたい。いつか出してみたら??」って言ってくれたのは、高校の先生でした。



だけど私は、自分の文章が特別優れているとは思えないし、それを形にするだなんて事も考えていませんでした。
ですが数ヶ月動きながら考えた結果、私の中に残った欲は「書きたい」という純粋な想いでした。
未だに自分の文章がどの程度なのかは分かりませんが、それでも私には「想い」があります。
伝えたい「想い」がある。
特別な情報が得られる何かはないかもしれないけれど、読んでくれた方の心が少しでも温かくなるような、そして何か気付きのヒントになれたら・・・という想いを込めて、このブログも書いています。
万人受けの為の文章ではなく、伝えたい相手へのメッセージとして、一人一人の顔を思い浮かべながら文章を綴っています。




ようやく、その「書きたい」という想いと向き合う覚悟が出来ました。
「発信する側でいたい」という想いがあった10代の頃。
その欲を叶える努力もせずに、放置していた時期があっての、いま。



それが今、一つの形になりそうです。



今月半ば、あるWeb媒体の専属ライターの募集がありました。
「場違い」に慣れつつあった私は、経験も何もないのにダメもとで応募。
自己PRや志望動機、そしてブログのURLを付けてメールを送りました。
担当者から返信があり、昨日その編集部にお邪魔してきました。
30分~1時間の予定が1時間半たっぷり話し、専属ライターとして使って頂く事になりました。



これは今の段階では無給なので「仕事」ではありません。
でも、書くことに関して何の経験もなく、特化した知識があるわけでもないので、むしろ沢山勉強させてもらえる事に感謝しています。
週に1度記事を書き、それがサイトに載ります。そのサイトでは私のページも設けてもらえるとの事。
また記事を編集者の方が添削をして下さいます。
そして編集部としての私の名刺を作って頂けるので、インタビューしたい著名人の方にアポを取って、記事を書く事も出来ます。
サイトリニューアルに伴って、私以外にも同じライターの方があと5人ほどいます。
その方達と、月に1度の編集会議を開き、各々の案を出しあい、またそれぞれのカラーを出していく事になります。
今はもう既にそのサイトに沢山のファンの方がいらっしゃいますが、リニューアルし一緒に仲間とサイトを作り上げていく取り組みに、多少の不安もありますが、それ以上にドキドキ感がいっぱいです。



一緒にやっていく仲間は若くて、みんなそれぞれ既に何か形にしていっている方たちばかり。
まだお会いしていないのですが、昨日編集部でその方達の話を聞き、私はのけぞっておりました(-_☆)
「ナゼ ワタシガ ココニ???」って思ってしまうようなメンバーが揃っています。
「場違いか?」と思ってしまうような状況ですが、出せる力は全て出していきたいと思います。


このサイトでは私がお会いしたかった方達が、次々とインタビューされて記事になっていたので、このサイトは以前から知っていましたし、そのサイトに関われることがすごく嬉しいです。



昨日は、過去に私の言葉や文章を好きだと言ってくれたみんなの言葉を、沢山思い出していました。



「清香から出る言葉に出逢える事が、すごくラッキー」と言ってくれた友達。
「物事への思い入れ方が好き」と言ってくれた子。
「ノート取らせて!」と私の言葉をノートに記録してくれた子。
「文章を書くセンスは絶対にある!」って何度も言ってくれた子。
「本書きなよ」と会う度に言ってくれた子。




みんなの言葉がなければ、私は自分の「書きたい」という想いにすら気付けなかったです。
みんながいたからこそ、みんなの言葉があったからこそ、私は自分の「出来ること」を信じてみようと思えました。
本当に本当にありがとう。



ずっと抱いていた夢の一つ「発信していくこと」が、一つ形になりそうな今。
無給でもなんでも、一つの媒体で自分が書いた記事が載るという事が、今から楽しみです。
書く題材としては、環境問題や社会問題を身近なテーマから切り込んでいくというもの。と言っても、そんな堅苦しい文章ではないです。
それ以外にも、新しい働き方や、色んな方面で活躍されている方へのインタビューなど。そういった内容の記事になります。
まだまだ私も勉強不足。10月に始動する予定なので、少しでも読んで下さった方の「考える」きっかけになる記事を書いていきたいと思っています。



また、今回のそのWeb媒体は、実際に形になって軌道にのってからお知らせいたします。



こういった経験を積むチャンスを下さったこと、そしてみんなが伝えてくれた言葉に、心から感謝します。
「何もない」と思っていた自分が、27歳にして「やりたいこと」と向き合う覚悟ができました。



気づかせてくれてありがとう。
伝えてくれてありがとう。
みんなと握手してまわりたいくらいです(☆。☆)



やっとスタートラインに立てたばかり。
この先どんな形に変化していくのか全くわかりませんが、背伸びしながら、時にはジャンプしながら、自分の可能性を広げていきたいと思います。



何度も言っちゃいますが・・・本当にありがとう。



「ありがとう」以上の感謝を伝える言葉が欲しいくらいです。
私も今これを読んでいるあなたの為に、何か少しでも力になれる、そんな人でありたいです。
あなたの「その時」のためにも、いつでも手を差し伸べられる自分でいたい。



「その時」はいつだっていい。
夢をかなえるとき。前に進みたいとき。悩んで苦しいとき。泣きたいとき。一緒に笑いたいとき。
何でもいい。
少しでも役に立てたら、すごく嬉しいです。



本当は形になってから伝えようかとも思ったのだけど、たとえこの先どんな形になったとしても、自分の今の想いを伝えたいと思い、言葉にしました。



長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございましたヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ


2012/08/15

空に魅せられて。


結局、全てはシンプルだった。


空と向き合ったあとは、いつもそんな気持ちになる。


昔から空が大好きだった。
一度だって同じ表情を見せない空に、時に心が洗われるくらい感動させられたり、そうかと思えば、宇宙戦争でも始まるんじゃないかと思わせるくらい厚い黒い雲に覆われてしまったり。



毎日出掛ける時に見上げる空。
仕事で外出したときに見上げる空。
帰りに電車の中から見る空。
寝る前に窓を開けて見上げる空。


いつ見上げても、その時にしか見えない空がある。
だけどどんな時でも、見上げれば必ずそこには空がある。



10代のときは、都会のネオンや街ゆく人を見ると、何だか落ち着いた。
光の数だけ、人の数だけ人生があるんだって思う事で、安心できた。
今では、自然を前に自分と向き合う事で、心が落ち着く。
10代のときは、色々と抱える多感な時期というのもあって、真っ向から自分自身と向き合うのが怖かったのかもしれない。



私の家のベランダには横になれるベンチが置いてあって、この前の週末に久しぶりに仰向けになって空と向き合ってみました。
そうすると私の視界は一面空だけに。



一度空と向き合うと、なかなか目を反らすことができない。
気づくと夕日に染まっていたはずの空が、すっかり暗くなって星が見え始めていました。
空をずっと見ていたら、何だか泣けてきた。
それは悲しさや苦しさからくるものではなくて、何だか凄く温かい気持ちになれたから。
こんな空を見る時間を持てた事、そしてそれによって自分自身と向き合えて、色んな気づきを持てたこと。



高城剛さんが「アイディアと移動距離は比例する」と言っていますが、それに似せて言うならば、「空と向き合う時間と気付きの数は比例する」と私は思います。



空と向き合って、難しい事なんてあれこれ考えられない。
どんなに頭や心が散らかった状態であっても、空とたっぷり目を合わせてしまえば、もう浮かんでくるのは本当にシンプルなことだけ。
単純な一つの言葉しか、私には出てこなかった。
その一つだけで、私の心は満たされていっぱいになりました。



たまたま星が多く出ていた日、きっと肉眼では見えなくても流れ星が流れているんだろうなぁって思うような空。
もし今流れ星が見れたら、わたしはその星に何を願うだろう。
そんな事を考えてみたけれど、やっぱり・・・答えは単純だった。
普段、叶えたいこと、手に入れたい居場所や理想、あげたらきっといっぱい出てくるであろう欲も、空と向き合って出てきたものは、何の迷いもないたった一つだけでした。




答えは本当にシンプルだった。
自分の中にある、大切で守りたいものや想いに、改めて気付けた時間でした。





一日24時間。365日。
同じ日なんて一日たりともなくて、今日元気でも明日は分からない。今日嫌な事あっても明日の今頃は飛び跳ねるくらい素敵な出来事があるかもしれない。
そんな毎日の中で、嬉しいこともあれば嫌なことだってある。
自分一人じゃ解決できない欲や迷い、悩みだってある。



そんなとき、空と向き合ってみてはいかがでしょうか。
それは空じゃなくて海でも緑でも良いと思う。もしかしたら人によっては、10代の私がそうであったように、街ゆく人かもしれない。
普段色んなものを抱えている自分を、言葉も出てこないほどにシンプルな感情にさせてくれる何かと向き合う時間。
私にとってのそれは、まさに空との時間でした。



空の美しさにいつも魅了されている私は、空の写真も沢山撮ります。
やっぱり綺麗な空を見ると、みんなとシェアしたくなる☆
似たような空だって、同じ一日がないように、同じ空だって一度だってない。



夏の空。冬の空。
季節が違えば、同じ時間でも空の表情は大きく変わる。
家にいても、外にいても、やっぱり私は何度も空を見たくなる。
朝が好きで早起きする理由の一つも、やっぱり空。
朝にしか見れない空の表情、景色があるから。



足を止めないと見えない景色がある。
人生も同じですよね。
是非、足を止めて空を見てみてください。
きっと、素敵な景色に出会えるはずです(*^ー^)ノ


2012/08/12

27歳の夏休み。


「夏休み」って言葉は、どうしてこんなにもワクワクするんだろう。
昔から「冬休み」「春休み」以上に、何だか特別な何かが待ってるかのように、「夏休み」って響きにドキドキしてたな。



お盆休みがない私ですが、金曜日に一日有給を取って、束の間の「夏休み」気分を味わってきました(・∀・)



たった一日。されど一日。
私にとって「大切な事に気づかせてくれた一日」となりました。



夜に予定が入っていたので、昼間は「誰かとの時間」ではなくて、「一人の時間」を楽しむことにしました。
何をしようか色々と考えた末、前々から行きたかった美術館へ行く事に。



今回訪れた美術館は、上野にある東京都美術館
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」も展示されるって事で話題になった、「マウリッツハイス美術館展」で、「本物」に触れてきました。




一人で美術館へ行くのは、これが初めて。
「美術館」。
普段あまり足を運ばない場所に、行く前からちょっとどきどき。
急げば仕事帰りに寄ることも出来る場所だけど、どうせ行くなら、「行く前」の時間も「行った後」の時間も楽しみたい。
私にとって「非日常」を感じさせる場所に、どうせ行くなら・・・と思って、ファッションも綺麗めなワンピースで清楚風にしてみたり(。・ω・)ノ゙



ある一日を、「特別な一日」と見立てて仕掛けをするのが、好き。
そのたった一日のために、ネイルの色を変えてみたり。
いつもより丁寧にメイクをしてみたり、服装をじっくり考えて選んでみたり。
朝食べるご飯も、行くカフェも、聞く音楽も・・・ストーリーをつけていく。
ちょっとした手間をかけるだけで、何でもない一日が、「特別な一日」に変化していく。



その過程が好きです。
そうして描かれた一日は、やっぱりすごく楽しい。
ただフラっと美術館へ行くのと、自分なりにより楽しくなる仕掛けをして行くのとでは、全然違います。




その日、上野に着いて上野公園を歩いていたら、すっごく綺麗な音色でビートルズのLet it be が聞こえてきました。
あまりの綺麗な音に引き寄せられて行ってみると、路上パフォーマンスで口で吹く楽器を演奏している二人組がいました。
道行く欧米人もその音に合わせてLet it beを口ずさんでいたり・・・。
緑溢れる場所でたまたま出会ったその音に、心がじわーって温かくなりました。



しばらく立ち尽くして聞いていたその音を背に、私は行きたかったカフェへ向かいました。



行ったのは、上野森PARK SIDE CAFE
4月にオープンしたばかりのこのカフェ。
美術館内のお洒落なカフェと迷ったけど、このカフェにあるテラス席に惹かれてこちらに。
やっぱり天気が良い日、外での食事が気持ちの良い季節には、断然テラス席が嬉しい。



きちんと屋根があるので日蔭になっていて、外の空気をたっぷり感じられる場所。
緑溢れる公園内にできたこのカフェは、都会にいることを忘れる程、のどかな時間を味わう事ができます。
上野公園に行く機会があった際は、是非(・∀・)そして、テラス席が気持ちいい季節には、是非テラス席で贅沢な時間を味わってください。





ランチを食べながらのんびりして、いざ美術館へ♪


私が行った時には10分待ちだったけれど、曜日や時間によっては30分~1時間待ちのときもあるそうです。マウリッツハイス美術館展
のホームページで、リアルタイムでの待ち時間、過去の待ち時間を見ることができるので、行く前に参考にしてみて下さい。



音声ガイドを借りて、一枚一枚の絵をじっくり鑑賞。
平日ながらも、結構人がいて、一枚の絵に近づくにも少し大変でした。
絵の事は詳しくないけど、一つ一つにストーリーがあって、17世紀に描いた画家の想いを想像してみたり。
現代の東京にいながら、400年以上前のヨーロッパで描かれた絵を前に、心をタイムスリップさせてみる。
何とも贅沢な時間です。




そして「真珠の耳飾りの少女」。
ここだけ物凄い行列。
さすが“世界で最も有名な少女”です。
「絵を最前列で見たい方」と「急いでいる方」の二手に分かれています。
「最前列で見たい方」の方は、本当に長蛇の列ができていましたが、「急いでる方」の方は人がまばら。
さすがに列に並ぶのを躊躇した私は、試しにもう一つの方に行ってみたら、「あれ、案外見れちゃう」ってくらいかなり近い場所で見る事が出来ました。
むしろ「最前列で見たい方」の方は、列が出来ているため止まって見ることはできず、前をさらっと通り過ぎる事しかできない状態。それに比べて「急いでいる方」の方は最前列ではないものの、かなり近い場所で立ち止まってじっくり見る事ができます。



私もあまりの本物の美しさに、なかなかその場をすぐに動く事ができず、じっくり彼女の目を見つめてしまいました。
やっぱり雑誌やパンフレットで見るのとでは、本物は迫力も美しさも全然違う。
その絵も含め、「来てよかった」って思える絵との出逢いが、沢山ありました。



「心が豊かになる時間」。
そんな贅沢な時間を過ごして、美術館をたっぷり楽しむ事が出来ました(*^ー^)ノ



この日、心を豊かにしてくれたのは、美術館の時間だけでなく、カフェのテラス席での時間、そして緑いっぱいの公園での時間もそう。





海外に行くと、いつも緑豊かな公園にすごく惹かれていました。
ニューヨークのセントラルパークもそのひとつ。
そこのベンチに座るだけで、時を忘れて色んなものが浄化していくような気さえする、そんな贅沢な時間。


どこかで、「そんな時間は日本では味わえない」と思っていました。
セントラルパークのような公園が、日本にあればいいのに・・・とさえ思っていたわたし。



でも、それは「間違っていたかも」と思わされたのが、この金曜日の一日でした。
東京にいながらも、その贅沢な時間を一瞬でも垣間見れた瞬間があったから。
その時、なんであんなにも海外の公園に心惹かれていたかが、わかった気がしました。



きっと、もしニューヨークのセントラルパークが日本にあったとしても、私はニューヨークで感じたような開放感は抱けなかったと思う。
それはやっぱり東京という場所で、どんなに心を休めようと思っていても、知らぬうちに私自身時間に追われているから。
休みの日でも、どこにいても、何をしていても、「時間を忘れる」事が出来ずにいたわたし。


もはや「時間に追われている」という感覚すら、実感していなかった事に驚き。



この日、カフェのテラス席で本を読んだり、時折ぼーっとしてみたりしながら、心や頭にあった色んな雑念が取れてスーッて軽くなっていく感覚に襲われました。
それこそ、まさに私が欲しかった時間。



友達と戯れるのも大好き。
一緒に夏を満喫するのもすごく好き。



でも、27歳のたった一日の夏休みでは、敢えて「一人時間」を欲したわたし。
そこで、言葉では表現できない大切な時間に気づき、大切な何かを思い出せた気さえしています。
「休みが欲しいな」って漠然と思っていた自分にとって、必要な時間はこれだったんだと思います。



一人での時間を楽しむから、友達との時間がより愛おしくなる。
友達との時間で沢山の刺激とインプットをしているから、一人の時間でそれを整理したくなる。



誰かと過ごしているときは、その時間を全力で大切にしたい。
自分ひとりのときは、とことん自分と向き合いたい。そしてその時間があるから、大切な人たちへの想いも募り、愛おしくなる。
その両方の時間が、わたしにとってはとても大切。



美術館を出て、すっかり夕日に照らされた公園をあとにして、私は友達との待ち合わせの場所へと向かいました。
銀行時代の同期との時間。
「いつもありがとう」と何度でも伝えたくなる彼女たちとの時間のおかげで、私の一日の夏休みは最後まで笑顔で過ごすことができました。



お盆休みのいま。
楽しい時間を過ごしていますか?
大切な人たちと、大切な時間を、そして大切な何かに触れられる時間でありますように(*^ー^)ノ



お盆休みがない私は、秋に休みをとる予定。
むしょーに、カンボジアとトルコに行きたい私ですが、今は全然別の場所への旅行を目論見中です:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



2012/08/06

Wedding.


チャペルの扉が開いた瞬間、涙が込み上げてきました。
「おめでとう」を何度言っても、何度言っても足りない。


週末、友達の結婚式に参列するため、名古屋に行ってきました。


彼女との出逢いは今から約5年前のトロント。
トロントでの生活が始まったばかりの私は、「英語がある程度習得出来るまでは、日本人とは連まない」と決めていた為、あの日少し離れたところに立っていた彼女にも、私は敢えて話かけずにいました。


そんな中、ブラジル人やメキシコ人と混じって階段に座って話していた私に、彼女は臆することなく声を掛けてきました。それが出逢い。


当時、彼女との会話は全て英語でした。
お互い頑なに日本語を話さない。当時、もしどちらかが日本語で話していたら、二人の関係は今のような形にはなっていなかったと思います。


彼女との出逢いが1ヶ月経った時に、私は別の友達と計画していた旅行に一人欠員が出た為、急遽彼女を誘いました。それまで、廊下ですれ違えば話す程度だった関係でしたが、この旅行を機に大切な大切な存在へと変わっていきました。



2歳年下である彼女は、妹のようでありながら、凄くしっかりとした姉のような存在でもあり、「友達」というよりは、どこか別の部分で繋がっているもっと濃い存在のような気がします。


そんな彼女がトロントから帰国してすぐに、病気にかかったという報告をしてきました。「お大事に」では済まされない内容に、私はすぐに名古屋へ向かいました。
そしてまた彼女が滅多にはかない弱音をはいた時も、次の日には私は名古屋の病院にいました。


「励ますため」「支えるため」・・・そんな綺麗な話じゃないです。


ただ私が会いたかった。
無償にどーしても会いたかった。ただそれだけ。


真面目で、芯があって、ひたすら真っ直ぐな彼女。
笑顔も、泣く姿も、頑張る姿も、沢山見てきました。
だからこそ、彼女からの結婚報告は本当に本当に嬉しかった。


結婚式の日。
チャペルの扉が開いて、ウェディング姿の彼女が見えたとき、色んな想いが一気に込み上げてきて、彼女の今後の幸せを強く強く願わずにはいられませんでした。


結婚式、披露宴、一つ一つの瞬間が、何だか凄く愛おしかったです。
もうまるで、嫁ぐ妹を見送る姉のような心境(-_☆)


披露宴の席では一人一人に宛てたメッセージが置いてあり、そこには私との約5年前のトロントでの出逢いは「運命だった」と、綴られていました。あの日の出逢いは、私にとっても間違いなく「運命」でした。



そして私は、彼女のブーケを頂くことができました。



ブーケトスではなく、会場である方法によって選ばれた女性8人が好きなテープリボンを一つ選び、そのうちの一つがブーケと繋がっているっていうもの。
結果、私が選んだものが、彼女が持つブーケと繋がっていました。



「繋がる」ってことば、好き。
今までの結婚式ではブーケをとった事がなかったので、人生初の結婚式ブーケに、ちょっぴりどきどきε=(。・д・。)



披露宴では旦那さんからのサプライズや、彼女から両親に向けての手紙、笑いあり涙ありの感動的な時間でした。



旦那さんとも一緒にご飯行ったり、2月には4人でコンサート行ったりしていたので、二人の最高の笑顔が沢山見れて凄く幸せでした。



大切な人の結婚式は、その人の笑顔が見れるのも凄く嬉しいけど、その人の大切な人たちに会えるのもまた、凄く嬉しい。
式に参列したみんなが、彼女にとっての大切な家族・友人であって、みんながいたからこその彼女なんだって思うと、大切な人の宝物を見せてもらえた気分ヾ( ´ー`)



彼女の笑顔が、これからもずっとずっと増えていきますように。
旦那さんも言っていたように、私もあなたの笑顔が大好きです。



こちらこそ・・・「いつもありがとう。これからも、ありがとう。」



二人の写真を載せられないかわりに、ちゃっかり私の写真が載ってますがφ(.. )



結婚式っていいね☆



いつか自分の結婚式をする日が来たら、「おめでとう」を言われる機会ではなく、みんなに「ありがとう」を伝える機会にしたい。
自分の大切な人たち、そして大好きな人の大切な人たちを一度に呼べるなんて、素敵な機会だなって改めて思いました。



いつの日か・・・:夢は膨らむばかり*:・( ̄∀ ̄)・:*:



前泊したものの、あっという間の名古屋時間でした。
それでもちゃっかり「矢場とん」で味噌カツは食べました☆


金曜日の夜、急遽国際交流パーティに参加して、1時に家に戻り2時半に就寝。
土曜日の6時に起きて、名古屋行きの支度をして重い荷物を持ちながら代官山へ。
代官山でのイベントが16時に終わり、急いで東京駅へ。
友達と合流して17時の新幹線に乗り、名古屋着いてそのまま矢場とんへ。
お腹を満たしたらすぐにホテルへ。そして20時からのサッカーをテレビの前で応援・・・・っていう。
まるで茶番劇かのようなスケジュールでした(。・ε・。)



もともと重かった荷物が、引き出物とブーケで荷物が増え、もはや家出かのように両手凄い量の荷物を持って帰りました。



重い荷物を持ち過ぎると、更に背が縮むのではないかと不安になります(☆。☆)




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