2012/09/29

15年越しに。


思いがけない嬉しい事がありました。


私の手元に、40通の手紙があります。
その宛名は、私の友達宛て。そして差出人は・・・わたし。


先日、5年以上振りに中学からの友達に会ってきました。
気付けば、5年。


地元の駅で待ち合わせして再会してみると、5年振りとは思わせないどころか、中学の時のノリに一瞬で戻るから不思議。


しばらく会っていなかった同級生と、ひょんな事がきっかけで大人になってからまた会うようになるケースがたまにありますが、その度に思うのは、どんなに時間が経ってしまっても子供の頃に長い時間過ごした同級生とは、まるで昨日会ったかのような空気感でいられる・・・ってこと。


それが凄く心地良い。


会わない期間、お互い色々な事があって、確実にどこか成長したり変わっていたりするものの、何の違和感もなく一緒に笑い合えるのは、同級生ならではなのかな。
再会を果たした彼女とは、近況報告し合いながらも、ところどころ中学の時の話になったりして。
私から見る中学の時の記憶と、彼女から見る中学の時の記憶が交わるのが、すごく楽しくて。



思い出話に盛り上がる最中、彼女から手紙について聞かされました。
私が中学時代、彼女に宛てた40通の手紙。
それを今も大切にとっておいてくれてると。


彼女と出逢ったのが中学一年の時。
今から15年前のことです。


過去の記憶って、起こった出来事については鮮明に覚えていても、その頃の日常の中で感じていた想いはうっすらしか覚えていないもの。今日ふいによぎった想いも、一週間後には自分ですら忘れてしまっていたりするものです。


でもそれが文字となって残っているとなると、話は別。
いくら自分が覚えていなくとも、15年前に書いた私の文字が全てを教えてくれる。



そこには「こんな事想ってた!」って思い出せるものもあれば、「本当に私が書いたの?」と思ってしまうようなものもあったり。



手紙を書くのが好きなのは昔から。そんな事も忘れていました。
メールやSNSでのやりとりが当たり前になった今も、私は時々ペンをとり手紙を書きます。
電車の中やちょっとした空き時間に片手で打ち、相手へ送信出来るメールの便利さに頼らず、きちんと想いを伝える為だけの時間をとり、カフェで一枚の便せんに向かい合って一つひとつの言葉を選びながら文字にする。



そんな時間が私にはとても大切。




中学生と言えば、ルーズリーフなどに書いて、流行りの折り方をして休み時間に渡す・・・っていうのが主流だと思っていたけど、私が友達に送った手紙は全て封筒に入ってちゃんとしたもので、それにもびっくり。



「形から入る」っていうのは、昔から変わっていないようですヾ( ´ー`)




中学時代、彼女に宛てた40通の手紙。
「是非読んでみて」って会った次の日、渡しに来てくれました。
まだ全ては読めずにいますが、それでも一枚一枚、中学生なりの人生論を語っている13歳のわたしが、そこにはいました。




恋について。友達について。
日記の様に出来事を綴るというよりは、自分の考えや想いが手紙には書かれていました。



あのときは真剣に頭を抱えて悩んだ事も、今ではすっかり忘れてしまってる。
きっと悩みってそんなもの。
人生規模で悩んでも、時間が経てばそれすらも色褪せてしまっていたりするもの。




15年前の私との再会。
すっかり変わった部分もあれば、芯の部分は案外変わっていない部分もあったりで。
15年経って私の手元に戻ってきた手紙は、忘れていた中学生の自分を思い出させてくれました。
それは思わず笑ってしまうくらい真っ直ぐでもあり、真っ直ぐな故に切なくもあり。




15年間も私の手紙を持っていてくれた友達に、本当に感謝。
忘れたくない事さえも、忘れつつある事に気づかせてくれました。
どんなに忘れたいと思う想いだって、いつかは忘れたくなくても自然と忘れてしまう事だってある。



手紙は読み終えたら、友達へまた返します。
その時は、大人になった私から彼女へ、一通の手紙を添えて・・・。


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